主のなさることは時にかなって美しい

 

予期せぬ突然の知らせに泣き崩れる私をなだめ、在宅勤務中の彼は新幹線の時間を調べ、荷造りと休校連絡をするよう諭してくれました。

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年末実家の近くのホテルに2週間自主隔離後、1年ぶりの再会・・・お正月は実家で過ごせました。

「又、会いに来るからね」・・・後ろ髪引かれる思いで千葉に。

 

ところが、コロナ禍で移動は制限され、なかなか約束は果たせないまま。

「ワクチン接種も進んでいるし、PCR検査を受けて陰性なら・・・・」と88才の誕生日が7月にあるのでサプライズを計画していた矢先の事でした。

36歳で夫と死別・・・以来、3人の子供を育てる為に死にもの狂いで働き詰めだった母は私にはとても厳しい人でしたが、孫のことはとても可愛がってくれて、千葉、ロンドン、岡山、千葉と転勤を繰り返す私たちを心配して、訪ねて来てくれました。

80歳の頃から足腰が弱まり、転倒がきっかけで寝たきりに。

身体機能が日に日に衰え、周りの人に多くの助けを必要としている現実が辛く、朗らかな彼女から笑顔が消え、最初は「家族の重荷になっている。早く死にたい」と度々口にしました。

 

共働きの兄夫婦との同居で、孫の面倒を見ながら家事をこなし、畑仕事に精を出してきた母は、他人に尽くす事、何かしてあげられることを生きがいとしている人でした。

多くの日本人が「他人の迷惑になるな」という教えの下に生きているので、何もできない自分が哀れでみじめに思えたのでしょう。

「この体もたましいも全ての命は神様からいただいたもの、ひとつ、ひとつの命に意味があるんだよ。たとえ体が動けなくなっても、そこにいる、それだけで意味があるんだよ。」

絶望から私を救ってくれた『私の目にはあなたは高価で貴い』という聖書の言葉を思い出し、母を励ました。

「これまでがんばってきたばあちゃんに恩返しできる時間をいただいて、私は喜んで帰ってきてるし、みんなもばあちゃんが笑顔でいてくれたら、何よりうれしんだからね。楽ではないけれど迷惑だなんて思ってる人なんていないから、大丈夫。これからは”ありがとう”って言うのが神様からいただいたばあちゃんのお仕事だよ」

振り返れば7年間、母はその言葉を忠実に守り、最後まで忍耐をもって人生を駆け抜けました。

元看護士の義姉は経験と実績に加え、知恵と思いやりにあふれ、帰省の度にその介護の手際の良さにほれぼれし、母の必要に合わせた自助グッズが備えられていることにも感心しました。

同居している保育士の姪っ子は、入浴介助だけでなく、知育の工夫を活かし、ばあちゃんとのおやつタイムにクイズをしたり、彼女のヘアカットやメイク担当。シルバーのショートヘアーに大きなイヤリングを孫娘につけてもらい、乙女のように恥じらう母はとってもチャーミングでした。

テーブルを囲んだ家族の夕食の時間も、兄の情報に間違いがあるとぼそっと訂正。みんなその記憶力にびっくり。

食後はいつも兄が車椅子を押し、お姫様抱っこでお布団に寝かせてくれました。

近くに嫁いだ妹家族やショートステイ先がしっかり支えてくれたことも心から感謝。

畑仕事の日焼けで浅黒く、ざらざらした肌は、7年間の寝たきりの生活の中でいつの間にかもシミもなくつやつや。ごつごつとした手も透き通るほど細く美しい指になりました。

たまに帰省しての私の慣れない手つきに、母はきっとおっかなびっくりだったことでしょう。それでも体をゆだねてくれました。

「いじ~」「えっ、みじ(水)?・・喉乾いたんだね」とストロー付のボトルを差し出すと首を振ります。

「いじ~」「ひじ(肘)?肘が痛いの?」体が硬直してきて、寝返りも思うようにできなくった母は、あちこみに痛みを感じていたので、肘の下にクッションを移してみましたがそれも違うよう。

口の周りの筋肉も衰え、発音が不明瞭な秋田弁・・・必死で状況から推測。

「ごめん、ばあちゃん。もう一回」

「きじ~」「あっ分かった!きつかったんだね。ごめん、ごめん」

前夜、おむつの締め方が緩かったために肌着もシートも濡らしてしまい、てんやわんやで交換した後だったので、ついついおむつをきつくしてしまったよう。

訴えがやっと通じたことに母も私もにっこり。

楽しいお正月もあっという間で、千葉に帰る日が来るとお互いにしんみり。

「また来るからね」という言葉に彼女の眼は涙でいっぱいに。

「ばあちゃん、もしその時が来たらイエス様って言う人が手握ってくれるからね。その人についていくんだよ。その人が天国に連れて行ってくれる人。そしたら、身体の痛いのも、苦しいのもない新しい体をいただけるんだよ」

うんとうなずく彼女。

ずっと伝えたかったことがやっと言えて、胸のつかえがおりるのを感じました。

「ばあちゃん、神様のところへいったら、何したい?」

と尋ねると、「草むしり」と即答。

「えっ!?あれだけ、難儀して畑仕事して、まだしたいの?」

と、半ば呆れて聞き返すと、じっと天井を見上げうんとうなずきました。

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移動中の新幹線から見えた青い空と白い雲。

天国に召された彼女が嬉しそうに大好きなお花のお世話をしてことを思いながらも次から次へとこぼれる涙を止めることができませんでした。

実家に戻り葬儀まで過ごした5日間に、会えなかった半年間も神様が私の祈りに応え、母がとても穏やかに暮らしていたことを知り、また弔問にいらしたご近所の方、親戚の方から数々の武勇伝(笑)を教えていただき、改めて母の偉大さを思いました。

コロナ禍にあり、生活にたくさんの制限はあったものの、兄と妹家族には初孫が誕生。彼女にとっては曾孫の誕生をことのほか喜び、いとおしそうに頭をなでてあげたり、目を細めてその成長をうれしそうに見守る姿は、すべての人を幸せにしてくれました。

千葉に戻り、この1週間気が付けばめそめそ。

でもレッスンの時間になるとしっかりしなくっちゃと自分にカツを入れる日々です。

突然の休校連絡で、うまく保護者の皆様に伝わらず登校してしまった生徒さんたちにお詫びします。

移動中の新幹線から「「ごめんね。もうすぐお母様戻ってきてくださるからね」と携帯で告げると、「大丈夫、大丈夫。先生、大変なんだから」と優しく気遣ってくれたKちゃん、本当にありがとう。

休校連絡のお返事に添えられた保護者の皆様からのいたわり、慰めのお言葉が本当に心にしみました。ありがとうございます。

とりわけ中学に入って最初の定期試験直前にお休みする事、申し訳ない思いでいっぱいでしたがみんな素晴らしい結果でした。

「今回のことを通して、自分に親がいることが当たり前ではないと気づかされました。~中略~。先生の深い悲しみを知り、少しでも先生が元気になれるよう一生懸命頑張ります。」という励まし、慰めの優しい言葉を紡いでくれた中学生・高校生たちのメッセージも感激しました。

きっとこんな出会いがなくれば、ずっと床に伏したままでしょう。

出会いを与えて下さった神様に感謝。

今さらながらに娘として、妻として、母として、教師として、友として 欠けだらけの自分ですが、その弱さ知っておられる”愛”である神様が数え切れぬほどの恵みを与えて下さったことを思い、心から感謝します。

聖書には天国では

神ご自身が人々の中に住み、  その目から涙をぬぐってくださるのです。もはや、死も悲しみも叫びも苦痛もありません。それらはみな、永遠に姿を消す』

と書かれています。

私の何倍も辛い思いをし涙を流してきた母の涙がすべて拭い去られたことを思います。天国での再会を楽しみにまた歩んでいきたいと思います。

 

 

第42回 小川杯争奪英語弁論大会

6月6日に東京外国語大学主催の「第42回小川杯争奪英語弁論大会」が行われ、尊敬する鈴木 みか先生の教室出身の青木ななさんが優勝なさったそうです♡
ぜひ添付のリンクで、その素晴らしいスピーチをご覧ください。
(彼女は11番目、3時間18分35秒から登場します)
 https://www.youtube.com/watch?v=mUcjkwyN7F8
(配信は7月5日までだそう)
彼女は年中時から高3まで14年間mpiメソッドで学び、高3時点でTAGAKI基礎編を終え東京外語大学に進学後のこの春からは「TAGAKI SDGs」に他の卒業生と取り組んでいらっしゃるそう

フレンズ英語教室でも中間試験が終わった高校クラスで、SDGsの学びを開始。
中学クラスでは、前期中間試験が終わり次第取り入れる予定です。
お楽しみに!