松香洋子の元気ブログ

2015年8月7日

ラオスで、コミュニケーションとはなんだろうと考えました。

ラオスで、コミュニケーションとはなんだろうと考えました。

6月29日から7月8日までラオスへ行きました。夫、娘(明子)、孫(海)と一緒でした。
ラオスがどこにあるかご存知ですか?中国、ミャンマー、ベトナム、タイ、カンボジアに囲まれた国です。

どうしてラオスか?元国会議員の八代英太さんのお嬢さんは私の教え子で、娘の明子の大の仲良し。このご一家は前島さんというお名前ですが、ご一家をあげて、長年、ラオスで様々な援助をしています。今回、ラオス訪問の直接の動機は、身体に障害のある方々のためにクッキー工房を運営しているというNGOの活動をみせていただくことでした。

この活動は、ADDP (Asian Development with the Disabled Persons)という名前で、首都のビエンチャンで展開されています。私たちが訪問をした日には、6人の方々がクッキーを作っていました。耳の聞こえない方、ポリオで足が不自由な方、生まれつき身体に欠陥がある方々が、日本からくるパティシェの指導で9種類のクッキーを焼き、日本人を含む3人のスタッフが販路を拡大しているのだそうです。今は売れ行きもよく、みんなで共同生活をすることが可能なのだそうです。こうやって海外でたくさんの日本のNGOが活躍しているのを知るのは、とても嬉しいし、誇りに思います。

さて、ラオスへ行って、メコン川下りもしたし、王宮博物館もみたし、たくさんのお寺もみせていただき、いかにラオスの歴史が複雑かも少しだけわかりました。5つの国に囲まれている国は本当にたいへんです。行ってきたばかりなのに、ラオスの歴史についてのテストがあったら、不合格間違いなし。

今回のハイライトというか、冒険は、2日間をかけて、35度C以上のかんかん照りの中を1日7時間をかけて山超え、谷をくだり、沢をわたり、ラオスの少数民族の村にいって、そこで一晩、ホームステイをしたことです。

生活の概要。
その家は屋根と床でできていて、窓も小さいのが1つ。何もない。床は広い。
たぶん村長さんの家だったらしく、蛍光灯1本、テレビ、電話、冷蔵庫はあった。(他の家にはないかも)
水場は村で一カ所。そこで、身体も野菜も食器も洗う。
炊事場では、薪で餅米(主食)を蒸し、お湯を湧かし、1つの鍋で料理。
トイレは広くて、水がおいてあってきれいだが、鍵は外のみについている!
正面玄関の大きなドアは常にあけておき、ホコリも、人も、動物もオートバイも入る。

びっくりしたこと。
村人は、我々に一切、関心を示さない。子どもも同じ。
にこりともしない。
挨拶もしない。
返事もしない。
だまって座って、こちらを見ている。
イヌ、ネコ、ヤギ、ニワトリは自由に歩いているが、誰とも交流しない。動物同士もお互いにからみあわない。

そしておきたこと
2人の頼もしい、若い、明るい、親切なガイドさんが全行程についてくれ、その2人が全ての食事も作ってくれました。ホームステイの人は一緒に食事をしない。(家族の夕食には頭付き野鳥とか、ネズミが炒め物に入っていたので、その方が良かったかも)
ガイドさん主導で、村人が20人ほど集まってくれて、歓迎のお祈りみたいのをしてくれました。自家製の餅米酒を飲んだりしましたが、村人は何も参加せず。それが終わると、ガイドさんたちは他の家で寝るということで退出してしまいました。
村人は私たちを黙ってみている。もちろん言葉は通じない。どうしようもないので、しばらくしてから、20人がだまって見守る中で、敷いてくれた布団のようなところで、7時間歩いた後ですから、着の身着のまま、寝てしまいました。20人にじっと見られながら寝たのは生まれて初めてでした。
朝になって、ガイドさんたちが作ってくれたラーメンを食べて、やがて出発。誰もわかれの挨拶もしてくれない。
帰路は、4時間くらい歩いて、ガイドさんの会社のドライバーの車が迎えにきてくれた時はうれしかったです。冷房車は涼しい。

教訓、考えたこと
小さな村、閉鎖社会の中では、挨拶、笑顔、目線をあわせる、握手する、といったコミュニケーションは不要らしい。
外からきた人間には、これは厳しい。江戸時代にはじめて外国人をみた日本の村人はこんな風だったかな、とおもわず考えました。
コミュニケーションはしらない人間同士ではあると楽。
笑顔とか、目線を会わせるとか、挨拶をするとかは、自然にできるものではなく、親が子どもに教えることによってできる。(親もしない場合は当然できない。)

ガイドさんたちは、どうにか英語はできる。
やはり英語ができてくれると助かる。
ラオスの人の英語は、p, b, t, d, c, g, k, f, v, が全部同じなので、なかなか手強い。
体力、気力、気遣い、やさしさ、やる気にあふれた若者が英語もできることは世界の人々をつなげるのにどんなに役にたつことか。
水のペットボトル5本を2本の指でぶらさげ、私の荷物ももってくれて、2日目には夫の荷物ももってくれて、料理が上手で、動植物をよく知っていて、軽々と歩く気持ちのよいガイドさんたちでした。

以上、一生忘れない、生まれて初めての強烈な体験でした。すごかったな~。

ブログ一覧に戻る