松香洋子の元気ブログ

2018年12月18日

盛岡でTAGAKI とKENJI、こころ温まる旅

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また、また、また、すっかり東北のお世話になってしまいました。

人生で何回目でしょうか?20回目?私にとって、意義のある旅でした。

 

まずはTAGAKI セミナー。懐かしい面々にお会いできて、心温まる東北に帰ってきたことを実感しました。普段は慎重な共著者の近藤も、会場の温かい雰囲気に誘われて、実験的な無茶振り。TAGAKIの広め方がさらに深まった瞬間でした。mpiの編集長、及川は実は遠野出身。一緒に参加して、じっくりTAGAKIの広め方をみてくれました。

 

大沢温泉。私の記憶にとどまっている懐かしい賢治の世界と、立派な本館を何回もタイムスリップしながら、近藤とTAGAKIの完成を祝いました。mpiの東北エリアマネージャーの佐々木のおもてなしで、急にお刺身がでてくるあたりが、佐々木ワールドでした。石油ストーブに、こたつで、ギシギシ揺れる夜をすごし、賢治を想うのはここでしかできないことです。

 

新館で立派な朝食をいただき、新花巻の駅から賢治記念館方面へ。賢治の天才ぶりを思い出しながら、イーハトーブ館へ。mpiが出版しイーハトーブ賞をいただいたGorsch the Cellistが品切れなのを確信した後でホッとコーヒー。童話館に行ったころには、今執筆中のTAGAKI Advancedには、賢治にまけないすてきな書き出しが必要とずっとそのことを考えはじめました。「人生で必要なことは、書き出しだ!」と作家気分。

Gorsch the Cellistは「宮澤賢治学会2005年 イーハトーブ賞奨励賞受」を受賞しました。

 

盛岡へ戻って、じゃじゃ麺を食べて、暗くなってからバスで宮古へ向かいました。岩手は広い。内陸部と沿岸部はこんなに離れているのか、そして30もの停留所がある急行バスは、真っ暗な中で時々乗客を降ろすのですが、タヌキに化かされてしまわないかと余計な心配をしたくなるほど、暗かったです。

 

宮古についたら、三陸鉄道にのって、田老に行くようにと佐々木さんから指令が!びっくりしながら、高校生と一緒に一両だけの三陸鉄道にのり、グリーンピアというホテルにたどりつきました。とても大きなホテルで、津波の時には、1000人の避難民のお世話をしたそうです。津波は15メートルから最大37メートルとか。優しい話しぶりのスタッフの皆さんから当時の、そして今に続くたいへんさに想いをよせました。

 

夜は近藤と賢治に触発されて、TAGAKI Advancedの書き直し。お腹が空いてきたところで、おにぎりとポテトフライと枝豆を自分でルームサービス。それを美味しく食べながら、賢治になりきれない自分を想う。

 

翌日も素晴らしいお天気。しかも温かい。いよいよ憧れの三陸鉄道にのった。津波に洗われという田老の駅舎からみると、海の近くは全部新築。堤防工事がまだまだ続く。オランダの大堤防を見た私としては、あんな小さな堤防で大丈夫なのか、と心配しました。長年の憧れの三陸鉄道は、久慈に向かったため、トンネルコース。80%がトンネルで、時々海が見える。来年の春にはかなりの部分が開通するとか。再挑戦を心に誓いました。沿岸部に住む人々の苦労が垣間見られるのですが、グリーンピアの人の解説では、漁業が生業なので、海から離れるわけにはいかない。そうなんですよね。

 

久慈の駅で、佐々木さんに出会い、久慈散歩少々。海岸で夫婦岩をみて、海女ちゃんの撮影場所を後にして、道の駅へ。見たこともないような大きな海鮮てんぷらを食べて、盛岡へドライブ。帰路につきました。

 

今回の旅では、いつもやさしく迎えてくれる東北の皆様に再びあえたこと、TAGAKIをお披露目できたこと、再び賢治にむきあったこと、長年の夢である三陸鉄道に乗れたこと、震災、津波のその後を少しでもしれたこと、なんと濃い旅だったでしょう。皆様に感謝です。



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