こどもと英語ニュース ~レポート 小学校の現場から~

2011年7月1日

小さな村の英語活動

2011年7月1日
小さな村の英語活動

J-SHINE小学校英語育成トレーナー
常葉学園短期大学非常勤講師
mpiパートナー会員
溝口 良子

レポート:小学校英語の現場から

一番茶の収穫が終わり、静岡県掛川茶は、今年も大人気です。イノシシが村人の人口より多い山奥で、英語教室を始めて13年目になりました。溝口良子です。

結婚したばかりの私たちは、掛川の市街地から山奥へ車で30分ほどの古い民家に引越しました。
若い人たちは町へ引っ越していく中、大都市東京から田舎へやって来た私たちを、快く迎えてくれた村の人たちは老人ばかり。東京で子どもに英語を教えていた私は、教えたくても子どもがいない・・・・
村人にとって、よそ者が来るのは初めてのこと、お互いにどう接してよいかわかりません。お茶畑の向うから顔を出して覗くばかりです。確かに、私たちは何から何まで変だったのでしょう。
聞こえてくるのは外国の曲ばかり。遊びに来るのは日本人みたいな外人、もしくは外人みたいな日本人。

ある日、小学4年生の男の子と、女の子のお母さんが訪ねてきました。
「習い事をさせてやりたかったが、町まで遠すぎて通わせられなかった。英語を教えていたと聞いたのですが・・・」
「ぜひ、やらせてください」すぐに私は、言いました。
何でもいいから、習い事をさせたかった2人の母親は、その日から不思議の国のmpiワールドにはまっていく子ども達を目の当たりにしたのです。
周りに家がなく、山に囲まれた我が家は、外で「英会話たいそう」を踊っても誰も何も言いません。(イノシシが聞いているだけ)
山に向かって大声でスピーチすると気持ちがいいものです。自然と背中がしゃんと伸びて声が大きくなるんです。
「子ども達がなんか変な歌を歌って、踊ってる。でも、楽しそう。」
ALTが小学校に来た時、2人が大活躍をしました。
東京から田舎へ引っ越して来て、初めてこの村に受け入れてもらえたという実感したのもこの頃でした。
私も、子ども達に英語を教えることが楽しかった。
お母さんたちも、私を信頼して応援してくれるようになりました。
この村の子ども達を「世界に羽ばたく15歳にする!」
片道3時間かけて、東京のmpi講習会を受けに通いました。
田舎だからこそ、最新の授業をする。今でも、その情熱は変わりません。

自宅での英語教室がようやく軌道に乗り、英語を教えるということが私にとって生きがいであり使命感になった頃、「このままでいいのか?」という不安感・孤独感を感じ始めました。
色々な講習会や勉強会に参加してはいるものの、このまま自己流を通していいものか?
そんな時、J-SHINEのトレーナー検定試験の話を伺いました。私にとっては、自分が今までしてきたことを試す絶好の場となりました。トレーナーの方々は、色々な分野で活躍している方ばかり。ざっくばらんにお話でき、同じ悩みを共感したり、いろいろな経験をもつ先輩に相談できる場所ができました。
ITに強い若いトレーナーの方からは、ホームページの作り方など教えていただきました。時代の流れというのは、本当に早く、あっという間に取り残されてゆくのだということを実感しました。非常に個性豊かな方たちに囲まれ、改めて「子ども英語」はただ言葉を教えるのではない、「コミュニケーションとしての英語」そして何より「人間味」が大切なのだと感じました。
トレーナー試験は、私にとっても大きな壁でしたが、それを乗り越えて得た友情や、経験はかけがえのないものとなっています。

息子が全校で74人という小さな学校に通い始め、父兄という立場から小学校の先生と関わるようになりました。
4年生になって、英語の授業が始まりました。
「英語の授業どうしてる?」
「担任の先生が、金髪のカツラかぶって授業してるよ。外人になったつもりらしいよ。」
先生の必死な様子を尻目に、子ども達の冷めた反応。
私に何か出来ることはないか? どうやって、先生にアプローチすればいいのか?
当時、学年役員をしていた私は、先生方との懇親会で校長先生にお酒を注ぎながら
「先生方、英語の授業頑張ってるみたいですね。」と言って、お酒を注ぐ。
「私、J-shineのトレーナー資格取ったんです。
先生方にデモを見せたり、授業の提案をしたり、相談にのったり・・とにかく、授業見に来てください。」
トレーナーの名刺を出しつつまた、お酒を注ぐ。
校長先生は、酔ったのか、酔った振りをしていたのか何も返事をしないまま、話が終わりました。
1ヶ月ぐらいして突然、「レッスンを見学したい。」と校長先生が我が家にやってきました。
難攻不落の要塞に、突然エレベーターがついて、扉が開かれた瞬間でした。
その年の夏休み、全学年の担任の先生を集めて、「英語ノート」を使った研修をさせていただきました。
気が付いた点は、

(1) 校長先生の鶴の一声で、どんな先生も踊ってしまう。
(2) 先生方は「英語ノート」をどの様に使えばいいのかわからない。あせっている。
(3) とにかく「英語ノート」をすみからすみまでやって終わらせればいいと思っている先生がいる。
(4) あくまでも英語は国際理解教育の一部である。英語を教え込みたくないと頑な先生もいた。
(5) ALT・JTEが授業に入る時、どの様に関わっていいのかわからない。(だから、遠くで見ている)
(6) 子どもの前で英語を話したくない。(英語が下手なのがすぐばれてしまう)
ひとりの先生が「なぜ、英語の授業で日本語を話してはいけないのか?」と質問されました。
各々の先生の意見、希望を伺い、お互いが出口の見えない迷宮に入りかけた時、校長先生がおっしゃたんです。
日本語を話すことがいいとか悪いと話し合うよりも、どうしたら英語をたくさん話せるか工夫するべきではないか?
私と先生方との距離感がぐん~と近づき始めました。

J-shineトレーナーの資格を頂いて、活動の場所が広がりました。
現在、静岡市の常葉短期大学英文科の子ども英語科で、将来幼稚園で英語を教えたいという若い学生に実技指導をしています。子どもに英語を教えるのではなく、子どもに英語を教えたいと思っている学生に教える。
また短大には、聴講制度があります。小学校の非常勤講師の方々や、地元の英語教室の先生方が私の授業を受けにきてくださいます。新たな挑戦の毎日です。
言葉は生き物、若者の感性や嗜好も日々変わってゆきます。私自身もたくさんの刺激を受けています。

今年3月13日、静岡市にてJ-shine講座を開催し「英語ノート」を使った授業の提案をしました。
震災後すぐということで中止も考えましたが、是非参加したいと多くの声を頂き、開催しました。
明日の授業をどうするか、悩んでいらっしゃる小学校の先生、直接教育委員会に掛け合って採用された森町のJTE。ALTとして掛川市に採用された日本人講師、英語教育に大変興味を持っている父兄の方々、算数や国語を教える学習塾の先生もいらっしゃいました。それぞれのフィールドは違いますが、子どもを思う情熱、英語教育に対する興味の強さに驚かされました。将来小学校の先生を目指す大学の学生たちにとっても、改めて現実の厳しさや、英語教育の可能性など感慨深い1日になったようです。

今年の夏、小学6年になる息子と1ヶ月セブ島へ語学留学します。
息子は、私のお腹にいた時から、英語の歌、mpi教材の歌を毎日聴いて育ちました。
私の英語教育が試される時が来るのです。
韓国や中国の同世代の子ども達と息子が何処まで渡りあえるか!
そして、アジアの教育ママにどれだけ私が立ち向かえるか!
田舎の小さな小学校に、どれだけ国際化の風を吹き込めるか!
日本人としての誇りを持って真の国際理解教育を体験して来たいと思います。
次回は、三重県で活躍していらっしゃる小林京美さんです。
京美さんは、とにかくカッコいいんです。バイタリティーに溢れたお話を伺えるのが楽しみです。


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