第1回 Who?
誰が公立学校における英語を教えるのか、担当するのか、プロデュースするのか、立案するのか、レッスンプランを書くのか、準備を担当するのか、
研修をするのか、報告をするのか、etc. かぎりなくこの羅列を続けることができます。
そんな時にふっと思いだすのは、私が1993年に1年間住んでいたオランダで見た、学級担任による英語クラスです。つまり、オランダの小学校の先生
が、オランダで小学校英語を教えたらどうなっていたか、という切り口です。もう20年も前になってしまったので、オランダでも小学校英語はすっかり様変わりしているかな~。
まずオランダの状況ですが、オランダの子どもたちは、小学校に入る前にかなりの英語ができるようになっています。
1. テレビが毎日、英語のマンガを流している。オランダのテレビは一切吹き替えがない。(当時は日本のマンガが全盛でした。)
2. 国が小さい(九州ぐらい)ので、ちょっと車で走るとすぐに「外国」に行くことになる。冬はスキー、夏は海と家族で行っていると、外国語にはいつも触れていることになる。
3. 親が英語、フランス語、ドイツ語ができる人が多いので、親が外国語を使うのを見ながら育つ。
このような生活環境の中で、とまどいながら英語を教えている小学校の先生たちの半分困ったような顔が、今でも印象に残っています。つまり、子ども
の方が英語ができるという状況の中で、自分は「教える」という立場にあるということです。これは日本でも似た状況ができつつあります。
そこでオランダの小学校の先生はどうしていたか?先生たちの指導経験や、人生観などで様々な対応をしていると思うのですが、“子どもの力を使う”、
が みなさんに一致していた基本的な態度だなと思いました。
事例1 中年の女性の先生。
英語は苦手と言っていました。高学年の児童はペアで、教科書のあちらこちらを見ながら、二人で1つの会話文を相談して作りました。10行くらいでし
ょうか?もちろん、アルファベットの文字は同じだし、英語とオランダ語は似ているところも多いので、子どもたちはどうにかこれができます。みんな
が書き終わったところで、先生は、二人ずつ前に出して会話文を演じさせました。先生は大いに褒め、励ましていました。そして最後に、子どもたちが
書いた紙を集め、ゴミ箱に捨てました。ここが立派です!話すことば、つまり、会話をさせているのですから、書いた英語は不要ということです。今、
何をさせようとしているのか、はっきりと見定めているのが良かったです。
事例2 中年の男性の先生。
とても誠実そうな、にこやかな先生で、授業の前にお会いした時に、教科書を見ながら、「このP.E.というのは何ですか?」と私に質問してきました。
「英語は苦手だな~。子どもたちはうまいけどね~」と言っていました。教室いっぱいに子どもたちが作ったコラージュ(自分が好きなものを画用紙
に貼る、絵を書く等、自由につくるもの)が飾られていて、それを使って、見学者である私に説明するよう、子どもたちに言いました。1人の男の子は、
オランダのサッカーチームのアヤックスの大ファンで、サッカー一色のコラージュの前で、どうにかサッカーの話をしました。あとで、担任の先生がい
うには、「あの子は学習がなかなか困難な子どもなんですけど、英語はどうにかするんだな~。」ということでした。
その頃のオランダは、1976年に小学校英語が導入されてからすでに17年も経過していたのですが、それでも、1人で英語を教えなくてはならない先生
たちの戸惑った顔がありました。あれほど外国語が上手な国民が多いオランダでその調子だったので、日本で小学校英語の様々なことが定着するには、
当然、時間がかかるし、だんだんに、良くなっていけばいいのではないかと考える時もあります。
松香洋子プロフィール
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