松香洋子の元気ブログ

2015年10月20日

ダブル、トリプル、スクリーンについて

いったい人類はどこへ行こうとしているのか?
いま、オーストラリアへきています。のんびり過ごしているので、そんな高尚なことを考えているわけではない筈なのですが、オーストラリアにいると、スクリーンの数の多さに圧倒され、どうなってしまうのかと考えてしまいます。

今回は学校が休みの時にきたので、家族と映画館に2度も行きました。映画は大きなスクリーンです。
家には、大きなテレビが3台も。そこではもちろん、映画でもなんでもみられます。スカイプもできます。ゲームもできます。
コンピュータは、大小あわせて、一人2台平均でしょうか?宿題も、検索もできるし、ゲームもできます。
そして、携帯電話。これも一人一台ではない。これもまた、全てができる。
だから子供たちは、テレビや映画を見ながら、自分のPCをひらきゲームらしきものをしながら、携帯電話で友達からの連絡を常にチェック。
どんな小さなことでもわからないことがあれば、携帯で誰かに聞くか、調べる。

常に刺激満載。視覚的に1日中、スクリーンをみている。音声のインプットも半端ではない。あふれる情報。世界中の人と交信もしています。

このような状況の中で、教育は何ができるのでしょうか?
孫はこの休み中に学校主催の社会科見学(5泊6日で首都のキャンベラ)に行ったのですが、行かなくても情報はいくらでもある。だから情報をとりにいくわけではない。友達と先生と一緒に何泊もして行ってきた、という体験が尊いのだろうか?事前に調べ、自分で見て、見たことについて、自分の考えをまとめることが尊いのだろうか?

こんな環境を少しでも薄めようとするのか、週末には多くの家族がキャンプにいく。巨大なキャンプ用品店には、何から何まであり、それはすごい。こんなになんでもあれば貴族風のキャンプなのだろうけど、どうにか自然の中につれていく。単純な喜びを(無理に?)体験させる。すると少しはコンピュータ抜きの人間になるらしい。

コンピュータ人間になると、本を読む、人と話す、意見を交わす、どれもこれも面倒くさくなる。この面倒臭くなるところを強制的にやらせるのが教育でしょうか?
それでも、本を書く人、映画を作る人、すべての映像の素を作る人はいる。このような人たちを育てるのが教育でしょうか?
そして消費者はものすごい勢いでそれを消費する。

こんなことについていけない、と思うのが古い人間。
両方があるのがよい、と考えるのが少し古い人間。
そして新しいコンピュータネイティブは何を考えるのか?
私には答えのない命題をぐるぐる考える毎日です。

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