松香洋子の元気ブログ

2015年7月17日

人生の転機はいつですか?

オーバーにいえば、毎日が人生の転機ですよね。人間は毎日、何らかの決断のもとに生きていくのですから、毎日、自分で方向性を決めているのです、と思います。

中学校、高校、大学、どこへ進学するのか?
これは人生の最初の大きな転機です。私は親の勤務の都合で、自分で行きたい学校が選べませんでした。というか、今、考えればそこを飛び出すだけの勇気も、実力も、決断力も、才能もなかったということです。自分で学校を選べなかったことで大学をでるまでずっと被害者意識があり、自分は親に翻弄されて生きてきたという思いから抜けるのはたいへんでした。大学の卒業式の日に、なんで所詮、英語人には勝ち目がない英文科などという科目を選んでしまったのか、と深く落ち込んだのを思いだします。卒業式の日に、どんよりと暗い顔をしている私をみて、両親はどう思っていたでしょうか?
教訓 今の子どもたちには、学校を選ぶ自由もあるし、親も応援してくれる。人生は一回しないのだから、思い切ってやりたいことをやるのがいいよね。でも親に翻弄されて生きるというのは子どもの宿命という部分は今も変わっていませんね。

大学を卒業後、どこに就職するのか?
これは人生の次の大きな転機です。私の場合、父親が、教員になってそれまで16年間お世話になった学校へ恩返しをするようにとあまりにも主張するので、「1年間だけやってあとは逃げ出してみせる」とこころに誓って就職しました。
ところが、高校の英語教師になった1年目に、ブリティシュカウンセル(イギリス大使館の文化部)と旺文社が主催した「高校教員のための英語エッセイコンテスト」というのに応募したら、男性教員1名、女性教員1名の優勝者に選ばれて、次の年にイギリスへ留学というご褒美をいただきました。誰でも自由に海外に行ける時代ではなく、1ポンドは千円で、外貨の持ち出し制限もありました。家族、友人がこぞって羽田までおくりにきて万歳をしてくれたし、南まわりでロンドンにつくまで30時間かかりました。
でも、この留学(半年間)は、私の人生に大きな影響を与えました。それまで日本で英語教育にかかわってきましたが、それまでに体験してきた英語教育がいかに「ウソ」だったかを自覚してしまったのです。英語は言葉、言葉は楽しんで使うためにある、英語は音声、音声を楽しむことが第一義、などなど、読み書き中心の、教養主義の英語教育に根底から疑問をもった第1歩でした。
教訓 仕事を選ぶ時には、注意が必要です。たった1年間と思って初めても、それが一生の仕事になってしまう場合もあるからです。(=私)大学を卒業する前に、親に内緒で商社に就職が決まっていたのに、それを断って教員になったことは大きな転機でしたね。

誰と結婚するのか?
私には4学年年上の姉がいますが、哲学を専攻した姉は、結婚という制度に大きな疑問をもち、フェミニストの道を歩み、絶対に結婚しないと早い時期に宣言しました。父親は明治の男で、女は結婚、と私が小学生の頃から言っていたので、それに固執していました。
私は子どもが好きだし、この人とならやっていける、と確信する人がいたら結婚しようと思っていたので、今のだんな様と結婚しました。結婚した時の約束ごとは1つ。夫婦喧嘩をしない、ということです。この約束をまもり、この46年間、夫婦喧嘩はしていません。喧嘩ばかりしている両親をみて育った私はあのような無駄なエネルギーを使うのが絶対にいやだったのです。おかげ様で優しい、こだわらない、人と比べない、詮索しないだんな様に出会って、好きに仕事をし、好きに家庭を仕切りました。
教訓 結婚すれば当然、相手しだいで人生は変わりますから、大きな転機には違いありません。昨今、結婚したくない、面倒だから恋人もいらない、自分の好きな時間がほしい、という若者が増えたのも一理あります。家族は大きな束縛を意味しますが、生きる価値を見いだす場面も多いです。独身主義の姉からは、「家族がいることで、たいへんなことばかりじゃない。血族関係でないつながりを求めるのがこれからは大切」とか言われますが、家族の存在の大きさの意味はあまりにも大きくて、家族を持った身としては、それがなかった場合の穴の大きさを埋める方法がわかりません。

続きはまた、いつか。

ブログ一覧に戻る