松香洋子の元気ブログ

2016年6月8日

幸せの絶頂と感じる時 Vol.2

質問 
・Top of The worldにいると感じた時は?どんな時ですか?
答え
これまでの人生で最高に幸せだった3つのことを書きます。

1. イギリス留学が決まった時
大学を卒業してすぐに、父親の命令で母校の高校の英語教師になりました。1年で義理をはたしたら、ぜったいにやめてやる、と固く決心していました。
その年の夏頃に、「高校教師のための英語エッセイコンテスト」というのが、British Councilと旺文社の主催でありました。
それに応募したところ、最終選考に残りました。
書いた内容は、「伝統を守るということは革新的であること」というようなことでした。
最終選考は、英語面接だったので、英語を話すことに自信をもっていた私は、これはとるぞ、と思いました。英検1級は大学生の時にとっていました。
男性1名、女性1名の代表に選ばれ、翌年の春から夏にかけて、イギリス短期留学を獲得しました!

なにしろ、海外に自由にいけるような時代ではなく、1ポンドは1000円、持ち出し制限は500ドルまで、ロンドンまで南回りで30時間かかりました。
素晴らしい経験でした。イギリスで24歳の誕生日をむかえました。
イギリスのスコットランドから、南はドーセットまで、くまなく旅行し、様々な講座にでて、たくさんのホームステイもして、夏はOxford 大学のOriel College で世界中からくる人と一緒に夏季講座をうけました。
本人の希望もいれてくれるので、多くの庭をみて、シェクスピアの劇もたくさんみて、野外音楽会もたくさん行って、当時関心をもっていた福祉施設の訪問もしました。
イギリスでの研修がおわってからは、ヨーロッパの国々をまわってから帰国しました。
ものすごく素晴らしい経験でしたが、私はたくさんのショックをうけました。
一番、大きなショックは、日本の英語教育はまったくダメだということでした。
イギリス人は「話す」ことをとても大切にし、
毎日、10時のお茶、3時のお茶と会話を楽しみ、
シェクスピアも音楽劇で大切なのは音声。
読み、書く中心の日本の英語の教育ではダメだ、騙されたと心底思いました。
このイギリス短期留学が私の音声を大切にする英語教育の原点になりました。
高校教師になって2年目にイギリスに行かせてもらった私はもちろんその学校をやめることはできず、今にいたっています。
あの時、イギリスに行っていなかったら、私の人生はまったく別物になっていたでしょう。

続きはVol.3へ

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