松香洋子の元気ブログ

2016年4月21日

先見の明はどうすれば?

質問
・洋子先生はプロフィールに「30年先を考えたい」と書いておられましたが、根拠?を教えてください。先を見据えることは大切で、私もそのようにすることを心がけています。
常にいろんなことを俯瞰的に、そして先を見据えて行動したり、ものごとを見ていきたいと思っています。しかし「先見の明」が養われるようには思えなくて、洋子先生のようになりたいといつも洋子先生に憧れを抱いています。今は、洋子先生の背中を追いかけることが精一杯ですが「何かコレを実行するとよい!」というようなアドバイスがあれば是非、お伺いしたいです。どうぞよろしくお願いいたします。

答え
教育というのは、子供の未来に対して行うものですから、今教えている子供たちが社会で活躍する時には
どんな社会になっているだろうか、などといつも考えてしまいます。
そうするとやはり常に先を考えるのでしょうね。

30年先を考えるというのはいま5歳の子供を教えていたら、その子供が35歳の時はどうなっているかを考えてみるということですから、教育にかかわっている以上、当然かもしれません。
それに私はどんな仕事をする時でも、いつも先ばかり考えます。
これって癖みたいなものです。
今はこうだけど、1年後は、2年後は、3年後はどうなるだろうか、と考えます。
そうやってある程度、着地点がみえないと落ち着かないのです。
先がみえないのに考えるので、わからないし、計画できないし、言葉にならないことも多いです。
いつも考えている自分はいます。
みえないものに重圧は感じますよ。
しょっちゅう、押しつぶされそう、重い石を乗せられて漬物にされそうな白菜みたいなものだ、とか思っています。

そんなことをいいながらも私は、
いつもうろうろ室内を歩き回ったり、
チョコレートを食べたり、
料理をしたり、
庭で花をいじったり、
ちょこっと掃除をしたり、
モーツアルトを聴いたりしているので、
あまり考えているようにはみえないでしょうね。
あ、ベットの中で、いろいろと未来を考えるのも習慣になっています。
だから朝起きてみると考えが変わっているというか、熟しているということはよくあります。

この質問をされた方は先見の明をもちたいのですね。
きちんとやるとなると、たくさんの歴史書を読んだり、未来学の勉強をしたりしないといけないでしょう。
でも自分が生きている範囲でやる程度のことであれば、ポテトチップスを食べながらでも考えられるのではないでしょうか?
考える癖ができると、ある時、それなりの先見の明ができているかも。

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