mpi松香フォニックス
名誉会長 松香洋子
はじめに
2020年は小中高大のすべてのレベルで教育大改革の年になります。今回の教育改革の目標は、「思考力、判断力、表現力の育成」となっています。これからの日本、そして地球全体の未来を背負っていく子供達の教育がその方向にむかって進むことは、素晴らしいことだと思います。
英語教育に限ってもっと具体的にいえば、指導内容は、4技能5領域(聞く、話す(やりとり)、話す(発表)、読む、書く)で、その先にあるのが「思考力、判断力、表現力の育成」ということです。
ここでは、英語学習の入門期にいる小学生と、そのちょっと先にいる中学生に、なぜ、何のために、どのような英語を「書かせる」のが良いのかを考えてみます。
なお、アルファベット、フォニックス、単語の書き写しまでは、文字指導の範疇とし、ここでは言及していません。
1 これまでの英語を書く指導を振り返る
1-1 なぜ、「和文英訳」ではだめなのか?
英語を書く=和文英訳という伝統的な指導法がありますが、なぜ英文和訳でいけないのかを一言でいえば、和文英訳では、自分で内容を考える必要がないからです。その問題点は、
- 思考力、判断力、表現力を育てない。
- 和文英訳のスキルは、一般的な日本人には必要がない。
- 自動翻訳機でできる部分が大きい。特に形式が一定なものはこれからますます機械、AI技術に委ねることになる。
- 和文英訳には、たった1つの正解があるとされるのが問題。日本語も英語も言葉であるから、あいまいな要素がたくさんあり、正解は1つではあり得ない。
- 「超訳」というのがあるが、帰国してまもない帰国生に、英文和訳や和文英訳をさせるとまさに超訳をする。英語学習の正解を初期段階から超訳に求めるのであれば、和文英訳もよいかもしれない。
1-2 なぜ「穴埋め」問題ではだめなのか?
日本の練習問題、テストで多用されているのが、「穴埋め問題」です。なぜ穴埋め問題では、思考力、判断力、表現力がつかないのかというと、
- 穴埋め問題では、英文には、たった1つの正解があるとされる。日本語も英語も言葉なのでたくさんの表現方法がある。空所の数があわないために不正解とされることは、入門期の学習者にとってはやる気をなくす大きな要因になっている。
- 穴埋め問題は、まるでパズルだと考えている学習者も多い。または暗記問題だと思っている学習者も多い。頭の体操にはなるかもしれないが、思考力、判断力、表現力を育てるものではない場合が多い。
- 多くの穴埋め問題の内容は、文法理解の確認のためであり、学習者の考えや、気持ちを問うためのものではない。
- 穴埋め問題は、テスト等を採点する際の利便性から出題される場合が多い。
1-3 どういう「書き換え問題」がだめなのか?
文法的な理解をおさえるための書き換え問題も多く出題されます。その問題点は、
- 安易にある英語表現を別の表現へ変更することはできない場合が多い。しばしば指摘されるように、”have to”を使った英文を”must”を用いて書き換える、とニュアンスのことなった英文になってしまう。”can”と”do”をいれかえるというのもあるが、安易にはできない。定型のジョークとしては、Q:”Can you cook?” A: “Yes, I can, but I don’t.” というものがある通りである。
- 練習として、現在形で書かれた文を過去形にするとか、1人称で書かれた文を3人称にする場合がある。つまり、substitution (入れ替え練習)の一種である。これは内容的に意味があれば問題がないが、練習のための練習だけでは、思考力、判断力、表現力はつかない。もし実施するなら、思考力、判断力、表現力のつく書き換え問題であってほしい。
なぜ英作文教育が必要なのか?
今後の大学入試の傾向としては、すでに述べた和文英訳、穴埋め問題、書き換え問題は一掃されると聞いています。すでに一掃されている大学もあります。それではそれに代わるものは何なのか?答えは、英作文、つまり、自分を表現するために、自力で英語を書く、ということです。なぜ英作文教育が必要なのかを考えてみましょう。
2-1 書くことは考えること
入門期の英語教育における学習順序は、【聞く→話す→読む→書く】、が正しく、この観点からいうと書くは一番最後で、一番難しい、といえます。しかし、それがたとえ難しいものでも、これまで実施されてこなかったとしても、これからの英語教育には、入門期から書くことが必要と考えます。
なぜでしょうか?
- 【書くこと】は「考える余裕」を与えてくれる
話す(やりとり)のように即答性を問われない。考えさせるには、英作文教育がむいている。
- 後で振り返ってみることができる
書くことは記録に残るため、その場で消えていく、話す(やりとり)とは違い、自分で確かめることができるので、自分で自分の進歩を確認できる。
- 自立的な学習になれる
自分の手や指を使い、自分の頭で考えていることを文字にしていく、という一人でできる学習であること。相手がいなくても、自分と向き合い、自分で自分の答えを引き出すことによって、思考力、判断力がついていく。
- 自分が無意識的に考えていることを、書くことによって整理整頓できる。それによって、判断力も、思考力も、表現力もつく。
2-2 小、中学生に何を書かせるのか?
英語をよく知らないし、単語もたくさん知らないし、文法もわからないので、英語を書かせることはできない、と考える指導者がいます。それは間違いです。これからはそんな考え方は許されないと思います。
これからは、英語そのものを学びながら、書くことを学ぶのです。それ以上に、英語を書きながら、英語そのものを学べれば最高だと思います。
- 自分のこと
自分が好きなこと、嫌いなこと、自分の生活、自分の周囲にいる人、ある物、起きること、やること等について書くことは大切。mpiでも、この考え方に基づいて、「子供のための英語で自己表現ワーク」とか「スピーチナビゲーター」という教材を開発してきた。こういう教材を使って、子供たちは自分を英語で表現することを学び、Show and Tellや、スピーチなどが上手にでる。
- 日本のこと
これもmpiがこれまで力をこめて開発してきた領域。子供を海外に連れていったり、海外からお客さんがきた場合でも、日本のことを説明したり、日本のことについて自分が何かをいえないと困る。これができないと、せっかく英語を勉強しているのに、役にたつことができない。
- 世界を知る
英語を使って世界のいろいろな人と交流しようとすると、常識的に世界のことを知っている必要がある。mpiではこれまでこの視点を大切にし、様々な教材に反映させてきた。現代社会においては、検索さえすればなんでも知ることはできるが、問題は、その知識が本当に自分のものになるためには、検索した結果を検証し、自分の意見形成にどのように役立てるのか、そしてその意見をどのように他者とシェアしていくのか、これが今の英語教育に求められている。
- 広く浅く興味関心をひろげる
入門期の英語学習の内容は、学習者の人生で今後も長く続く英語学習、英語使用の楽しい入り口であるべき。だから深く考える話題、特に政治、経済、歴史問題等を深く切り込むのは、高校、大学に任せたい。それを任せるためには、入門期に広く、浅く、様々なトピックにふれさせ、関心を広げていきたい。
2-3 英作文を通じて何を育てるのか?
英作文教育を通じて、日本の入門期の小、中学生のどのような人間力を磨いていきたいのかを考えてみたいです。思考力、判断力、表現力をつけるとか、さらに大きくいって、魅力ある人間を育てるとなると、もちろん英語という教科だけでできることではなく、他教科での取り組み、さらに家庭、地域での取り組みも視野にいれる必要があります。
- まずは判断力を育てる
日本の多くのお母さんは、子どもに判断を求めない。「牛乳がいい?それともお茶?」とか聞く前に、牛乳かお茶のどちらかが子どもの前に出される。一事が万事。日本の子どもはただただ「うん」と言っていれば無事に生活できるということを早い時期から身につける。
このようにして育てられた子どもがやがて、中学生、高校生、大学生になって、例えば、海外にホームステイにいくと、朝から晩まで「どちらがいいか?」「何がいいか?」と聞かれ、ほとほと根をあげてしまう。
学校の勉強や、活動でも同じことがいえる。ALTから簡単な質問をされても、なかなか答えがでてこない。あいまいな表現を好む日本人らしさや、グレイゾーンにいたほうが身の安全をはかれるという日本社会という問題もありますが、これでは、一歩日本の外へでたら通用しない。
そこで、自分の気持ち、好き嫌い、AかBを判断させるような英作文を初期の学習から導入していくことが大切。これからの「書く」という学習では、自分は何が好きなのか、嫌いなのか、望みなのか、あることがらに対して自分と同じなのか、違うのか、賛成なのか、反対なのか、そんなことからはじめていく。
- 構成を学ぶ
日本人の話は、まわりくどく、はじめちょろちょろと時間がかかり、最後まできかないと何をいいたいのかわからないとよく言われる。なんでもスピードが要求されるこの時代、短時間に、自分の想いを他者に伝えるには、構成が必要。よく言われることですが、はじめはイントロ、そして次にボディー(本文)、最後に結論といった構成を教えることが重要。
- 自由な発想をもつ
「子供はみな詩人」といった表現をよく耳にするが、小さな子供は常識にとらわれることなしに、自由に表現する。それは読み手を大いに楽しませる。それと同じことは英語でもできる。初期の学習者が知っている英語は少ないかもしれないが、その中で常にクリエイティブであろう、としていれば、周囲をうならせる表現もでてくる。
- ユーモアの精神を大切にする
ユーモアのセンスのあることは、大切なコミュニケーション能力の要素。コミュニケーションはお互いに楽しむためにするのが大切だから、限られた英語でもユーモアのセンスを育てることを目指していきたい。
- 短時間で考えをまとめる習慣をつける
人間は自分の考えを、時間をかけてまとめる場合も、短時間でまとめる場合もある。入門期の英語学習者の場合、使える英語が限定的であるため、短時間で考えを軽くまとめるという習慣をつけることが大切と考える。すごく簡単な内容なのに、なかなか英語がでてこないのでは、周囲の忍耐力が限界になってしまう。
- 自分の意見を述べる
ALTの先生から「日本の生徒は意見がない」、と言われたり、海外でも「日本人は何を考えているかわからない」等といわれがちですが、日本の子供も生徒も、そして大学生も、大人も意見をもっていないわけではない。面倒くさくなると、「わかんない」「どうでもいい」「な〜んにも考えてない」などというが、考えない人間なんていない。
しかし、意見を出す方法をしらないとか、意見を言い慣れていないとか、社会的に罰せられないかと恐れるとかはあるかもしれない。このグローバルな時代、これでは世界的に通用しない。ではどうしたらよいのか?その答えは、小出しに、常に意見をたずね、意見をいわせ、それを認めていくしかない。書くという、特に物事を考えさせる活動の中でそれをすこしずつやっていくことは可能だと考えている。
このような話を講演会等ですることがあるが、いつもでる質問としては、日本の社会がそれを許していない以上、英語教育だけでそれをするのは無理がある、ということ。しかし、私は英語教育だからそれができるのではないかと考えているし、英語教育だからこそ、それをやるべきだと考えている。英語は世界へ通じる道を開く言葉、せめて世界が向こうにみえる窓のような学習でありたい。
3 英作文教育と添削という問題
これまで日本の英語教育で自分の英語で自分を表現する「英作文教育」があまり実施されてこなかった大きな理由は、添削問題につきると思います。もし、これまでにどこかの、教育現場で英作文教育が成功していた場合があったら、それは指導者の献身的な添削によって成し遂げられたに違いありません。
3-1 英作文指導は添削との戦い
個人的なことですが、私が大学の講師として勤務していた10年間くらい、英作文という科目をしばしば担当し、「添削」という問題と戦いました。
- 手書きの時代
毎週、500ワードのエッセイ(自由題)を学生に課した。学生はテーマ探しに苦しんだそうだが、こちらだって添削に苦しんだ。いまでもこの課題で実力がついたという卒業生にあうことがある。
- コンピュータ導入以後(おおよそ1990年~)
大学1年生に、300ワードの英作文を課し、5月からはタイプ提出を義務付けた。タイプをしたことがある学生はわずかで、無理といわれながら押し通した。タイプをして提出してくるため、読みにくい文字との戦いはなくなり、後日、スペルチェックという機能がついてからは楽になったが、当時の文法チエックは大学生には機能せず。
- 情報を利用し、長く書かせる戦い
どうにか大学生を世界に通用する人間にしたくって、The Japan TimesやTimeを利用してレベルを上げようと試みたが、語彙そして、それ以上に背景知識の不足に悩み、毎週200ワードの単語集を配布することになり、こちらの仕事は倍増。2年間連続して担当したクラスでは、最後に3,000ワードまで課した。こうなると全体の構成も含め問題は山済みだったが、卒論をはじめて英語で書くのではなく、と思い、お互いに頑張った。
3-2 英作文添削を通してわかったこと
私がこのように添削と戦ったのは、自分が勉強した時に、自分の英語を添削してくれた先生方へのお返しというか、引き継いていかなくてはならないと考えていたからだと思います。アメリカの大学院で学んでいた時、教授がにやにやしながら言っていた言葉、「みなさんのレポートを読んだり、添削したりするのは大変な仕事です。その中でも一番たいへんなのは皆さんの個性的なハンドライティングを解読することです。」
私が英作文を添削するという仕事を通して学んだことは、
- 英語環境(英語圏とかインタナショナルスクール等)がある場合は、自然な矯正もおきるため、書かせれば書かせるほど上手になるが、英語のインプットが少ない日本のような環境では、個人的な間違いが化石化する。だから初期の正しい刷り込みが必要。
- 文法的に間違っていないとか、スペリングが正しいといった観点だけではなく、書いたものが相手に通じるためには、導入、本文、結論といった構成がなによりも大切。最後まで読まないと何をいいたいかわからないという日本的な作文は通用しない。
- 自分の主張、考え、が表明されていないものは、読んでいてもつまらない。他人が書いたもの、すでにどこかで掲載されたものをコピーすることは、今日ではすごく簡単にできる。今、知識そのものはすべてコンピュータの中にあるといっても過言ではない。それをコピペしてきてもきらりと輝くものがない。読んでいてつまらない。感銘しない。ここの部分の教育をどうすればいいのか、これが究極の問題。
3-3 これからの英作文の添削
AIの発達、ICTの発展により、英文を書いて、それを文法とスペリングという観点に限って添削するという技術はもう開発されているそうです。これは素晴らしいことです。
- 手書きのものでも添削可能
中学生になったら、自分のエッセイをタイプ提出し、それがAI技術によって、添削されて返ってくるというのは、夢物語ではない。それどころではなく、生徒が手書きで提出したものをコンピュータが瞬時に読み取り、文書化するというプロセスは開発ずみだそうだ。30人、40人もの生徒が1クラスにいる中学校、高校へこのようなサービスが1日も早く持ち込まれることを願う。
- 構成も添削できる
すでに開発ずみのAI技術では、書かれたものの構成の添削も可能なのだそうだ。もちろん、一定の書式(構成)があるビジネスレターとか、科学論文の場合は、そうであっても、子供や中学生の書いたものを本当に添削できるのか疑問はあるが、技術を開発している人たちにいわせればビッグデータさえあればなんでも可能だそうだ。
- ロボット先生が添削できない領域
こんなサービスが利用できない場合は、ロボット先生に代わって、人間先生が添削しなくてはならない。たとえそのようなサービスを利用できるようになったとしても、ロボット先生が添削できない領域があるのではないかと思う。
どんなにビッグデータを提供できても、ロボット先生は子供の発想には勝てないのではないか、というのが私の期待するところである。
4 指導者の悩みに向きあう
小学生、中学生を対象に英語を書かせるとなると、指導者は、「英語力をつける」と「自分を表現する」、の間で、これまでにない悩みを抱えることになるでしょう。文法力がなければ何も書かせられない、いや語彙がなくては、いやいや背景知識がなければ、いったい日本の子供はどこまでいけばよしとされるのか、従来からの悩みも含め、新しい悩みもつきないことでしょう。それではどうすればよいのか?
4-1 はじめから目指すところをはっきりさせる。
英語学習のはじから、あくまでも目標は、「「思考力、判断力、表現力の育成」と決め、母語と英語の表現力の距離を縮めていくということです。まず初めに英語そのものを学ぶという考えから脱却し、自分が言いたいことを表現する、を先にすることを目標にすることです。
- 文法とスペリングの正しさ、というものを先にもってこない。周囲の大人は、学習者が書いたものの正しさばかりを評価するのではなく、まずは内容に着目する習慣をつける。
- 日本語と英語では、日本語は縦書き、英語は横書き、というぐらい言語間の距離があるため、特に初期のcollocation (決まり文句、こういう時にはこういう表現を使う)というインプットが必要。
4-2 トピック立てで考える
これまで日本で英語教育を指導してきた指導者、特に中学、高校の先生の頭の中にある文法と語彙の導入順位には強固なものがあります。その徹底ぶりには時にびっくりさせられるし、疑いをもつこともしばしばです。
- 必要なトピックに必要な文法事項は、必要に応じて使う
文法の指導順位にははまっていなくても、過去形が必要だったり、現在完了が必要だったりすることがある。そのような文法項目がなければ、あることについて表現ができないのであれば、それを導入する以外、方法はないのではないか、とかんがえる。
- 語彙は豊かに導入する
なるべく少ない語彙で学習者を楽にさせたいという指導者がいるが、トピックにそった必要な語彙は必要であり、また、多めに紹介しておく方が学習者の好むものに行き当たる可能性も高い。なるべく多数導入し、学習者は自分が必要と思うものから覚えていくのが自然である。
4-3 トレーニングが必要
大切なのは、トレーニング。トレーニングとは、基本的なことを、忍耐をもって、自分の身体が覚えるまで繰り返すということです。
- トレーニングの方法としては、書き写しや書き換えなどが必要だが、それが学習者にとって意味のある内容にしていくことがもっとも大切。学習者自身にとって意味のある内容にし、考えて書く、ことを習慣化させていく。
- いいたいことはたくさんある学習者だけど、英語を話させると、また、書かせるとめちゃくちゃという場合がある。特に書かせた場合は、文法の間違いもスペリングの間違いも目立ってしまう。このような結果になるのは、一言でいえばトレーニングが不足しているから、といえる。どれだけのトレーニングが必要かは、例えばスポーツトレーニングをみても相当な個人差があるのではないだろうか?それを学習者が自分で把握していないと、すべてのアウトプットの結果が指導者の責任になってしまう。
- トレーニングには、自分で記録をつけたり、自己評価をしたりしていくことが欠かせない。トレーニングは自分との戦いであり、自分で喜びを見出さなくては長続きしない。自分の進歩が確認できるような方法を確立する必要がある。
- 手書きかタイピングかということも考えていく必要がある。もっとも初歩の書き方指導は手書きというのが常識とされるが、幼稚園児でもタイピングというのはできると聞いている。タイピングをするとスペリングを早く、正確に学べるということもあるかもしれない。タイピングをする方が構成がよく見えるという学習者もいるかもしれない。今後、ためしてみたい領域である。
終わりに
これまで、初歩段階の英語学習者のための「英作文教育」の可能性や問題点を考えてきましたが、今後、この未開発の部分に光があたり、多数のアイディアが出され、日本の子供たちが自身をもって自己表現ができるようになっていってほしいと願っています。
英語学習の入り口にいる学習者に、どこまで書かせれば一定の目標を達成できたとするかということについては、高校生になったら、本来やるべきことは、小論文、レポート、エッセイ、スピーチ原稿、ディベートの準備原稿を書いたりすることでしょう。その前の段階では、高校でそのような学習内容ができるように、自分のこと、自分の周辺のこと、地域のこと、日本のこと、世界のことに広く関心をもち、まずは自分の考えを確認して、それを強固なものにし、それを表現できるーそんな生徒が高校に上がる前に出来上がるのが、私の理想です。