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2018年5月18日

~4技能5領域について~ 話す(やりとり)ということ

mpi松香フォニックス
名誉会長 松香洋子

はじめに

今回の文科省の指導要領の指針では、「4技能・5領域」を設定していますが、これはとてもうれしいことです。つまり、「聞く」、「話す(やりとり)」、「話す(発表)」、「読む」、「書く」、と定義されたことです。長年、「話す」というスキルの中で、「やりとり」と「発表」は違うと考えてきたからです。

この2つの技能のうち、「やりとり」はなかなかやっかいな分野です。「発表」は準備、練習、度胸の3つがあれば、どうにかなります。
ところが「やりとり」にはそれを上回る複雑な要素があります。これまでのmpiの取り組みを紹介しながら、これからの小学校英語での取り組み、そこにつながる中学校英語に想いを馳せながら考えてみます。

やりとりが困難なわけ

  • 日本人同士で英語を話すのが恥ずかしい
  • 日本人は人に話しかけるのが苦手
  • 慣れ親しんでいる人とは話すが、知らない人と話すのは苦手(地方のおばあちゃんたちを除く)
  • やりとりが受け身になりがち(やりとりは次に何が飛び出すかわからない想定外の世界なので)

さあ、どうしましょうか?

冷蔵庫シート

mpiを創設期から知っていてくださる皆様は、かつて、黄色くて薄いDialogs for Children(絶版)という教材があったのを覚えていることでしょう。この内容は後に、Pam and Tedという教材で展開されていました。(Pam and Ted, 1行、2行、3行会話(絶版))

mpiが最初に出版した会話教材のはじめのはじめは「冷蔵庫シート」というものでした。A4の一枚の用紙に、短い2行の会話のやりとりが書いてあり、大きなイラストが2枚ついていました。たとえば、”Hello!” “Hi!”という調子です。これを子どもたちに家にもって帰ってもらって、一週間、家で保護者も巻き込んで、その会話を実践してもらう作戦でした。この時に、”Ah-choo!” “Bless you.”などという日本人にはなじみのうすい会話も仕込んだので、子ども達には大受けでした。子どもはいつでも珍しい「音」とか、「ジェスチャー」が大好きだからです。

日本人が家で、教室で、一往復でいいから英語で会話をするというのは、当時は斬新な発想でしたが、このような活動は今では小学校英語で広く達成されています。(いるはずです。そうであってほしいです。)

Touch and Talk

群馬県にあるぐんま国際アカデミーという学校へ授業見学に行ったことがあります。この学校では、基本的にすべての教科を英語で教えているのですが、その時、お会いしたフィリピンからいらした経験豊富な女性の校長先生の悩みは、「日本の子どもは英語で授業をうけ、質問をされたら答えるし、授業内で先生の指示による活動は全部英語でできる。しかし、日本人の子ども同士が英語で話すことが少なすぎる」というものでした。

そこで校長先生が考案されていたのが、”Touch and Talk“という手法でした。
子ども同士、また、先生と子どもでもいいのですが、誰かにtouchしたら、またはだれかにtouchされたら、必ず英語で話すというルールです。それを実施した子どもは校長先生に、「今日は〜回、touch and talkをやった」と報告すると、シールがもらえる、といった方式だったと記憶しています。

私自身、何度かフィリピンへ行ったことがありますが、フィリピンの人たちはとても明るくフレンドリーで、誰でも英語でニコニコと話してくれます。そのような国から来られた校長先生は、日本の子どもが頑なに守る文化の壁に気が付かれたのでしょう。とてもいい方式だと思うので、日本全国に広まるとよいと思います。

MIRRORシステム

mpi教材のいろいろなところに出演してくれ、本の表紙にもなってくれた海くん(Kai McDougall, 娘の息子、オーストラリア在住)が小学校3年生の時に、日本からオーストラリアの学校へ転校した時に、英語も自由でない、特に読み書きはほとんどできない、日本人の友達もいない状況の中で、頑張れたのは、このMIRROR※システムがあったからだと思います。

私立の男子校ですが、先生たちは、M = Merciful, I = Independent, R = Resourceful, R = Respectful, O = Open minded, R = Resilientといった学校のモットーを1つずつ、小さな紙に書いたものをポケットにいれていて、子どもの言動が、行動が、発言が、学習が、それに値すると思った時にその紙をくれるのです。このような難しい単語を海くんが理解していたとは思いませんが、なんだかわからないけど良いことをしたらしい、というのはわかったはずです。
その小さな紙がたまると、学期のおわりに表彰状になり、一年のおわりにはより大きな表彰状になり、みんなの前で表彰されます。オーストラリアのほかの小学校でも同様なことを実施している様子で、その学校のモットーを単語にしている表示をよく見かけます。
※現在は実施がないようです。mpi調べ
私がここで言いたいことは、オーストラリアの学校は実に褒め上手だということです。これだけでなく、学内で誰が本をたくさん読んだとか、水泳大会で優勝したかとか、学外でこんな試合で勝ったとか、何かの資格を取ったとか、しょっちゅう、みんなの前で紹介し、表彰します。

日本の子どもに英語でやりとりをさせたかったら、もっと褒めるシステムを作る必要がある、といつも感じています。Good question! Great idea! Excellent comment! Nice smile! Friendly attitude! とか、なんでもかまいませんが、目指していることを少しずつ浸透させ、ほめて、それを最終的なcan-do評価につなげていくようなシステムがほしいものです。

英会話たいそう

mpiが取り組んで、多くの先生方が賛同してくださったのが、「英会話たいそう」という教材です。この教材では、12の英会話表現を1つの曲にまとまっていて、踊りもついています。レベル1には、12×8曲で96の初歩的、日常的な会話表現が盛り込まれています。レベル2に相当する「もっと英会話たいそう」は、TBSと一緒に開発したものですが、同様の数の表現が盛り込まれています。

英会話たいそうのハチャメチャ

この教材をご存知の方も多いと思いますが、これが子どもたちに愛される理由は、その自由度というか、ハチャメチャ度にあります。例えば、最初のやりとりは、”Hi!” ”Bye” というもので、理性にあふれた大人からは「いったいこの会話はどうなっているのか?」と随分お叱りをうけました。

作者の私の言い分としては、”Hi!” といって気軽に、会話を自分の方からはじめ、会話をやめたくなったら、”Bye!” といって終わりにしなさい。だんだんに”Hi!”と”Bye!” の間に会話文を足して長くしていってください、という真面目なものでしたが、はじめはとまどった指導者が多かったようです。

でも、子どもは全然、そんなことは気にしません。まずは、踊ってふりをおぼえ(ジェスチャーは会話の大事な要素)、歌をおぼえ(イントネーションは会話の大切な要素)、やがて会話表現をものにします。おぼえた時には、イントネーションもリエゾンもばっちりです。まさに通じる英語そのものです。音楽の助けがあると、こうも英語らしい英語が英語らしく発話できるのかという事実には驚異的なものがあります。

子どもが偉いのはそれだけではありません。「英会話たいそう」でおぼえた表現をすぐに「使って」、自分たちの会話を楽しむということです。「英会話たいそうNo.1」で一番評判がよい会話は、 “Ouch.” “Are you all right?” というものですが、ある小学校で子どもたちが、この英会話文をいいながら、そこら中で、そこら中が痛くなっているのを見た時に、私は子どもの偉大さにブラボーと叫びたくなりました。

このような短い会話から始まるのですが、子どもたちはそれだけにとどまらず、96の表現を自由自在に使い、どんどん長いスキットをつくり、それを演じて楽しむのです。発売からすでにずいぶん経ちますが、未だにこの教材を愛してくださる指導者は多数くいます。それはこの教材を使うと、子どもの驚異的ともいえる力に感動するからだと思います。

「英会話たいそう」はどうやってできたか

「英会話たいそう」の96表現をどうやって選んだのか、とよく聞かれました。この教材をいち早く公立小学校で導入してくれた小川隆夫先生には、「コンピュータではなく、松香先生のカンピュータ」とか言われましたが、この発想のもとのもとは、1970年代に家族でアメリカに住んでいた時に、そこに中庭があり、そこでいつも遊んでいた我が子とアメリカの子どもたちの会話から拾ったのが最初です。

アメリカ(サンフランシスコ)で当時遊んでいた子どもの会話を、時々、ノートに書き留めていました。年齢は小さい子どもから10歳くらいまでで、10人くらいいました。その時に、子どもが使う英語には特定の表現があり、それしか使わないということに気がつきました。つまり、子どもの世界の慣用句ということです。

例えば、 “What's your name?” と “How old are you?” は、知らない子どもが遊びにきた時に、ボス的な子どもが使う通過儀式のための表現でした。“Can I go to the bathroom?”と言う表現があります。「英会話たいそう」を出版してから、何人かの指導者から、「これはおかしい」というご指摘をうけました。
つまり、トイレに行きたい、というのは、 “May I go to the bathroom?” でなくてはいけないのではないか、というご指摘です。でも、私が記録した子ども同士の会話では、トイレにいきたくなって遊びを中抜けするには仲間に断らなくてはならない、というものでした。これが代表する例ですが、この教材は大人の発想ではできていないということです。

「英会話たいそう」のビデオに出演してくれたDamien Pratt氏から、Corpus Linguistics(コーパス言語学)の発展にともなってあきらかになったcollocationの研究成果から、日本の中学生には700文ぐらいがいいのではないか、というリストをもらい、「もっと英会話たいそう」を製作した時には、このリストを参考にさせてもらいました。

私はいつも考えるのですが、日常会話というものは、内容的にあまり難しいもの、深刻な内容ではなく、みんながcollocation(慣用表現)を使って、軽く、楽しくやりとりしあうものではないでしょうか?もし、この段階をクリアさせたいと思うのであれば、慣用表現を教えるしかありません。

1つだけ注意しなくてはならないのは、子ども(特に10歳まで)は、AというスキルをBに転化するということは不得意なので、どんなに会話例をおぼえさせても、いざという時の会話に役立てるのは難しいという点です。

そういうことを考えると、「英会話たいそう」の真価は2つに集約できます。

1つは、算数の九九のようにおぼえさえ、それがいつ、どのような場面で使えるかは一生の出会いの中に存在する、とする。

もう1つは、子どもは自分で作った会話文や、自分が友達と演じてゲラゲラ笑ったような会話文はおぼえている。

ということです。

現に、「英会話たいそう」を子ども時代に学んだ人は、高校生になっても、大学生になってもその曲がかかると全部のフレーズがいえるそうです。算数の九九のように、一生涯、人々の脳裏に焼き付いていたら、慣用句の役割が果たせていると考えています。

Questions and Answers 【QAシリーズ】

mpiではこれまでに、QA50, QA100, QA200, QA300という教材を世に出してきました。QA50は人生でもっともよく聞かれる質問を、構文ごとに整理したもののです。QA100は何が飛び出すかわからない質問集です。QA200は中学校生活等を話題にした内容を掘り下げる教材で、QA300はディベートにも使える教材です。

子どもに自分から質問させたい、というのがmpiが長年取り組んできたテーマです。これは英語が不得意な日本の子どもが(大人もそうですが)、質問される側になってはいけない、という考えに基づいています。

この考えは私がイギリスに留学した時に、自分が苦労した体験から学んだことです。1960年代にイギリスにいったのですが、教養あるイギリス人は日本のことをとてもよく知っていて、例えば、歌舞伎と文楽、俳句と和歌とか、華道と茶道とかについて、私以上に博識で、そんなことを質問されるとしどろもどろになるだけでなく、食事をする暇も、お茶を飲む暇もないのでした。

そこで身を守るために実践したのが、とくかく私の方から質問するという方式でした。イギリスの名所旧跡、歴史、地理、文学、社会制度、食べ物、なんでもかまいません。こちらから質問すると、さすが大英帝国の子孫、外国人からの質問になれているイギリス人は実に丁寧に、上手にいろいろと説明してくれるのでした。その間に食事も、お茶もできるようになりました。

日本の子どもにもこのことを伝えました。「とにかく質問しなさい。相手が答えている間に次の質問を考えなさい。」と乱暴なことを教えました。英語ができる大人には「とにかく質問しなさい。相手の答えの中から自分がわかった単語を1つだけおぼえておいて、次にそれについて質問しなさい」と教えました。これは質問することが不得意な日本人にはとても大切なポイントです。

日本では質問する人は生意気な人、なんだか面倒な人と捉えますが、西洋の世界では、質問しない人は興味関心のない人、聞いてなかった人、よって失礼な人、または理解力のない頭のよくない人となってしまうのです。文化が違うとこんなにもとらえ方が違うのです。

やりとりのはじまり

指導者が一方的に質問するばかりでは(特に初期の会話では)、警察官の尋問みたいになってしまいます。Questions and Answersの活動をする時には、間にはさむコメントや相槌を早くから教えることが何よりも大切です。 “Really!” “Me, too.” などを使い始めて、慣れてきたら、質問には、 “How about you?” と相手に会話を戻すのも強烈な武器となります。

やりとりを長く

日本人の英会話のやりとりは短すぎます。それはこれまでの英語教育の結果かもしれません。“Do you have a pet?” と聞かれたら “Yes, I do.” とdoを使ってこえなさい。 “Can you swim?” と聞かれたら、 “Yes, I can.” とcanをつかってこたえなさい。“Were you busy yesterday?” と聞かれたら “Yes, I was.” と答えれば定期テストで点数がもらえる︎といったことが浸透していますが、これでは残念ながら会話は成立しません。

ペットを飼っているなら、どんなペットを飼っているか答えないと会話にならないし、これからダイビングを習うという時に泳げるか、泳げないかをきかれたらもう少し丁寧にこたえるべきだし、昨日忙しかったかときれて、はい、とだけ答えるのはよほど返事をするのがいやで、半分、喧嘩を売っているようなものです。

日本は、ためらいの文化、あいまいな文化の国です。小・中学生も含め、グレーゾーンのやりとりを好むので、英語の時もなるべくはっきりと答えない。。。となりがちです。日本人を相手に、または日本人だけのグループで話している間はそれで問題ないかもしれませんが、国際的には通用しにくいと教えるのが英語指導にかかわる私たちの使命です。

AAA方式とか5行話すとか

これは Answer, Add, Askの略です。やり方は、まずは質問に答える(Answer)、次に何か一言たす(Add)、そして次に何かを質問する(Ask)、ということです。このやり方だと、会話は永遠に続くそうです。このようなことを意識すると会話がおのずと発展してゆきますね。この方式を厳密に捉えるのではなく、指導者が”Add one.”といい続け、 “Yes. / No.” だけでなく、質問されたら何か1つ足す癖をつけさせることが大切ですね。

私がイギリスで学んだことをもう1つをいえば、会話のやりとりは長い方が、時間がゆっくり流れて会話が楽しめるし、食事もできるし、お茶も飲めるということです。つまり、ある人が質問する、質問された人が短く答える。これでは質問した人はまた、次の質問をしなくてはならず、食事もできないし、お茶も飲めません。そこでお茶好きのイギリス人の会話を観察すると、質問の答えが長い、または質問する人もその趣旨をながながと述べるのです。これによって、みんなでゆっくり食事ができるし、お茶も飲めるのです。

そこで私はとにかく、せめて3文をいうとか、できれば5文をいうことをこれまで随分主張してきました。相手には見えないように3つとか、5つとか指で数えるのもコツです。

例えば、日本の子ども、中学生、高校生をつれて、オーストラリアへつれていくと、フレンドリーなオーストラリア人はよく質問をしてくれます。“Do you like Australia?” この時の返事が “Yes, I do.” では失礼というものです。少なくとも、3つの理由は上げる必要があります。”It's a big country. The weather is good. People are nice.” は最低条件です。

いつでも、どこでも、誰とでも、3つの文で話す、理由を述べる時にも3つは言う、というのは、家庭でも、学校でも、英語教室でもとてもよいトレーニングでおすすめです。私は孫たちにいつも「3つね!」といい続けた結果、今ではそれを覚悟して話し始めます。特にやりとりが短いライン風な会話になれている若者にはこれは相当な試練のようですが、こんな風に鍛えていかないと日本の子どもの英会話力を高めることは難しいのではないでしょうか?

実際に使う場面を増やす

東京オリンビックもあるし、海外からのお客さんも増えているというので、小・中学生にも、英語を使うチャンスは増えるかもしれません。しかし、そればかりを待っていても、英語を使う場面はなかなか増えません。

都立高校では、フィリピン在住のフィリピン人の先生とon-lineで会話をすることを義務づけている場合もありますが、これはとてもいいことです。はじめて英語を使ったという気持ちになることでしょう。

小・中学校では、ALTの活用法を工夫している学校もあります。Team Teachingの相手をしてもらうだけでなく、ALTがきてくれた日には、一人、一人、面接をお願いしたり、5~6人で英会話をしながら昼食をとったり(むかし横めしという言葉がはやりました)、廊下で2人ずつ話しをしてもらって評価をつけてもらう等もよいと思います。

小学校でも、これからは、教えてもらうというより、校庭で一緒に遊んでもらったり、一緒に給食を食べてもらったり、朝は校長先生と並んで挨拶運動というのもいいと思います。かつて、広島のある町ではこれを実行し、子どもたちは、「校長先生には頭を下げておはようという。ALTには頭をさげないで目線をあわせてGood morning!という」というルールをすぐに編み出したそうです。

おわりに

英語を使う場面が少ないにこの国では、せめて英語のクラスを、英語を使う場にしなくては練習する場がありません。小学校でも、中学校でも、そして高校でも、大学でも、英語教室でも、英語で英語を教えるという実践が進んできていることはとてもよいことです。

小学校でも、中学校でも、英語を話す場面を増やそうと努力しているのは素晴らしいことです。小学校でも、中学校でも、学校で英語を話すことが当たり前になることは実によいことです、なぜなら義務教育は英語教育の入り口だからです。

その入り口が楽しいものであり、有意義なものであることは大切です。そこで嫌になったら、一生の勉強に悪影響がでてしまいます。だから英語で会話を楽しんだり、英語が通じた・できた!と自信をもつことは、多くの日本人が憧れる英語がしゃべれる人になるための、とっても小さいけれど、非常に大きな一歩です。

一番大切なのは、積極的にコミュニケーションしようという態度であり、発音や文法などにこだわって一言も話さないという時代はもうおわりました。今はグローバル化によって、英語を話す相手がネイティブであることはどんどん減り、日本で大切なのはアジアの人を相手に話す勇気をもつということでしょう。

これから、英語を話す(やりとり)という領域で、英語教室の先生も、学習塾も、進学塾もみんなで考えなくてはならない時がきたことは、チャレンジですが、とても楽しい時代に突入したというのが私の気持ちです。
様々な課題はありますが、最後の最後には、人間は話して楽しい人、意味のあることを伝えてくれる人と話したいわけですから、内容のある人間になることは、どんなに時代がかわっても、状況がかわってもかわりません。

そして、高校、大学では、高度な知識や、準備が必要な英語ディベートもやってほしいし、英語で何かを発表したあとに丁々発止とやりあってほしいです。希望はつきませんが、今回はここらあたりでやめておきましょう。


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