2018年3月15日 松香洋子
第1回 フォニックスアルファベットジングルとカタカナふりについて
なぜフォニックスアルファベット・ジングルなのか?
フォニックスアルファベット・ジングルという言葉は、小学校英語の移行期間用のテキストWe Can!にも記載されています。フォニックスアルファベット・ジングルというのは、”A /a/, /a/, apple”のように、文字の名前、それが表す発音、その発音で始まる単語を1セットにして、AからZまで唱えるものです。
こんな面倒くさいものを教えなくても、ある日の授業で、例えば“pen”という単語を読ませたければ、/p/ /e/ /n/と発音を教えれば十分に読めるし、その単語が書けるようにもなるという考え方もあります。
しかし、mpi方式のフォニックス指導では、ジングルの効用を信じてきました。それが大部分の子供たちに効き目があることをこれまでに見てきたからです。ジングルの指導は、ちょっと回り道のようにも思えるのですが、それは算数の九九の指導にも似たものです。日本の子供たちは、2年生のときに、熱中して九九を覚えることにより、それが一生ものの財産になっているのです。やがては九九を暗記したことはもちろん忘れていくのですが、九九を唱えて身についたことは頭から去っていくことはありません。
アルファベット・ジングルも同じことです。ジングルを練習する時にはどんな単語を使用してもかまいませんが、子供たちがよく知っている単語を使って、AからZまで唱えさせることによって、「自力で読もう!」という力がつきます。その日教わった単語が読める、書けるだけではなく、ジングルで唱えた26文字の音(発音)を活用して、「自分の力でどんな単語でも読める」と思うことが素晴らしいのです。
例えば、テーブの上に”milk”という単語をみつけた子供は、フォニックス・ジングルを学習したことで、/m/ /i/ /l/ /k/というように、自力で文字を音声にかえて、その単語を認識することができるのです。その応用性、自立性を産むのがジングルです。
その日にでてきた単語を読ませるという教え方では、その日、クラスを休んでしまったり、その日にわからなかった子供はどうしたらよいのでしょうか?そのような問題を解決するのは、ジングルを何度も、何度も唱えて、こどもたちに拠り所をつくるという指導法なのです。
日本の子供のためのフォニックスとは何か?
フォニックス学習法は、19世紀の終わり頃に英語圏で開発されたもので、そもそも英語を母語とする子供のためのものでした。しかし、英語圏に限らずアルファベットのような文字を使っている国々では、ごく自然なこととして、フォニックスは教えられています。つまり、何語であっても、アルファベットの文字の名前とそれが表す音が違う言語を使用している国では、フォニックス的なことを指導することは当たり前です。
ところが、この事実は日本の子供にとってはびっくりすることです。日本語には、ひらがな、かたかな、というものがあって、読み始めは楽だからです。では、mpiがこれまで提唱してきた日本の子供たちのためのフォニックスとは何でしょうか?
1. フォニックス・ルールの厳選
英語のスペリングは、本当のところは複雑で、不規則なものも多く、英語学習者を長年にわたって悩ませるのは事実です。英語圏の子供だって、これには相当、悩まされています。でも、最初から不規則なものとか、難しいものばかりを教えたのでは、子供は英語学習が嫌になってしまいます。そこでmpiでは、「フォニックス・ルール一覧表」(フォニックスって何ですか?)にまとめているように、ルールを子音、母音というカテゴリーで、4つのルールに集約し、全部で84個のルールとして提示してきました。
84のルールは「初心者には多すぎる。最初のアルファベットの発音と2文字子音ぐらいまでで十分だ」と主張する先生もいれば、反対に、「いやいや、これでは少なすぎる。読めない単語が多すぎる」という先生もいます。mpiでは、日本の子供が中1になったときに、およそ中1の教科書の「あてよみ」ができるという目標と同時に、日本の子供たちの発音がよくなるためのルールを厳選しました。英語を通じる発音で発話するにはフォニックス学習が役立つからです。
2. 子供に馴染みのある単語を使用する
mpiも創設の頃は、アメリカから直輸入したフォニックスのテキストを利用していました。フォニックスのテキストは、英語圏では多数出版されています。英語圏ではどこでも子供はまずアルファベットを学び、次にフォニックスを学び、次に英文を読み、書く、ことを学んでいくからです。英語圏で開発されたテキストを使うと不便なのは、使用されている単語に違和感があることです。例えば、日本では見たこともないおもちゃとか、食べ物とかがでてきます。そういうものを異文化理解として紹介するという考えもありますが、日本の子供の「自分で読めた!「わかった、できた!」というよろこびにつなげるのが難しいのです。そんな考えに基づいてmpiでは、これまで多数の日本の子供たちのためのフォニックス教材を開発してきました。フォニックスは過渡的な学習法で、いつまでもやっているものではありません。だからこそ、こどもたちの持てる力を存分に発揮してもらうには、やはりわかりやすい内容がよいものと考えます。
今の日本では、グローバル化の進展によって、こどもたちが知っている単語、身近に感じる単語もだいぶ変わってきていますが、こどもたちが「自力で読めた!」という爆発的なよろこびを感じるコンテンツがいいことには変わりがありません。
例外語が多すぎるという問題
「フォニックスなんて教えても、読める、書ける、単語は限定的だ」、と主張する指導者もいます。たしかに、以前なら中1の、そしてこれからなら、小3用の英語のテキストを開いただけで、読めない単語、文のオンパレードです。
「Let's Try!」という小3用の移行期間教科書で、こどもたちが最初に目にする英語は、Hello! Let's Watch and Think, Let's Chant! Let's listen. Activityというものです。もちろん、このような文や単語はこどもたちに読ませたり、書かせたりするために記載されているわけではありません。実際のところこのような単語や、文を読み、書きするのは、かなり高度なフォニックスの知識が必要となってしまいます。
それでは、フォニックスはいったい何の役にたつのか、ということですが、「文字には音がある」という概念をこどもたちが理解することによって、「今、やっていることがどこに書かれているのか」がわかるということです。
これは、英語の西も東もさっぱりわからないと感じているこどもたちにとって大きな支えです。1、2年生であれば、また、3年生でもより音声的なこどもは、テキストに書かれた英語を見ないでしょう。気にもならないでしょう。しかし、一般的には3年生くらいからは、そうでなくなってきます。文字の裏付けがある方が一人の人間として安心感があるのです。
英語のスペリングは実は複雑で、例えばHello!1つとっても、ある商品名に”Halo”とあるのを見たことがありますが、その方がいいに決まっています。Lightだって、liteになれば英語学習者はうれしくなります。
でも、残念ながら、世界中の言葉はとても複雑で、それは日本語を使用している我々もよくわかっていることです。「世界中の言語は、どの言語も同じ程度に複雑」というのを言語学入門というクラスで学んだときに、どんなに感銘したことか!
だからフォニックスなのです。そんな複雑な英語の文字とつづりという問題を、はじめから初心者にぶつけたらみんな嫌になってしまうのです。だから、優しいことからすこしずつやる、これは学習というものの基本中の基本です。
なぜカタカナをふってはいけないのか?
なぜフォニックスが必要なのか?一言で答えるのであれば、カタカナをふらないで英語を読み解く方法を授けるからです。
それでは、なぜカタカナをふってはいけないのか?それはカタカナは日本語の発音を表しているからです。
これはmpiが何十年にもわたって戦ってきた問題です。
1997年に韓国で小学校英語が開始された年に、mpiは日韓合同英語研修会を主催しましたが、その時に、お会いした韓国の小学校の先生方に「カタカナふり」のことを話したら、「ああ、昔は私もやっていた!」と笑っていました。日本でも早く、「ああ、昔はやっていた」になってほしいです。韓国では、今でも幼児用の絵図鑑等には、ハングルふりのものもありますが、英語のフォニックスは広く国民の知るところとなったのです。
ところが、日本には、カタカナをふることを否定しない指導者や、常用している先生方もまだまだ存在します。英語の発音は日本語とは違います。それを日本語であらわすのは無理です。
カタカタふりを否定しない指導者の皆さんの言い分は、それがこどもたちの助けになるから、というものです。中学校でもカタカナをふることはよくあります。まったく読めないより、指針がある方がいいでしょう、という考え方のようです。本当にそうでしょうか?英語環境がなく、英語インプットが少ない日本では、これは仕方がないことだと諦められています。でも本当にこれでいいのでしょうか?
その昔、日本から移民としてハワイに渡った日本人が作った英語辞書には、orange juice=レンジュー、などと書いてあったそうです。つまり聞こえたままということです。また、英語が得意でない人でも英語の歌ならとても上手に歌う人がいます。発音もばっちりです。つまり、聞こえたママを真似しているからです。
小学校英語を学ぶこどもたちも同じです。文字を与えられていない時には、素直に聞こえたままの英語を口にします。「ワッチャネー」は名前を聞かれているという具合です。この「ワッチャネー」とWhat's your name?の間には相当な距離があります。そして、「ホワット イズ ユア ネーム」とカナをふった場合は、さらに距離ができます。これまでの多くの日本のこどもたちはこの3つの距離の中をぐるぐる旅して大きくなってきました。
そもそもどの言語でも、話し言葉と書き言葉は違います。それだけで十分困難です。そこにカタカナというもう1つのプロセスを加えることが本当によいのでしょうか? 正しいプロセスは、「What's your name? (ワッチャネーみたいにいう)」→ What's your name? →「What's your name? (ワッチャネーみたいにいう)」ではないでしょうか?
小学校英語の場合、1年生から4年生ぐらいまでは、聞こえたまま、通じるままに発音をすることを先行し、5、6年になったら、自分がいえることを文字で確認するのがよいと思います。それでも、実際に会話に使う時には、通じる発音であってほしいし、文字を導入したことが、「聞ける」ことや「話せる、通じる」ことを阻害しないでほしいです。
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