教室でする「英語カルタ取り」にもいろんな意味があります。

先週、2年生のクラスは、英会話たいそうが最後のユニット8まで来ているので、1~4のユニットの復習のために、「カルタ取り」をしました。カルタのカードは、一つ一つの英文を表した「絵カード」です。

教室に着いたら、カードを渡し、MABが終わった生徒からどんどんカルタとりに参加します。ユニットによって、カードは、同じカードが4枚あったあり、3枚だったり、2枚だったり、1枚ずつだったりです。

ここにも、意味があります。学校だと「先生、このユニットには、同じカードが4枚もあっておかしいです」と生徒が言いうと先生も「ごめん、ごめん、ちゃんと1枚づつにそろえないとね」という感じで、「そろえる」という「いつもと同じ」ということを重視するかもです。

いえいえ、世の中、いろんな不協和音でできています。予測できないいろんな変化でできています。何があっても対処する力が必要です。

カルタ取りの目的は、「たくさんカードをとる」です。その目的に向かって「どういう工夫をしていくか」が大事です。「工夫する力」は、「自立した学習者」には、不可欠です。どんなことがあっても目的は一つです。

いろんな生徒がいました。

同じカードが4枚あるのに「1枚だけとって、ボーッとしている」生徒。4枚あれば、手は、両手使った方がとりやすいですが、「片手に今までとったカードを持っていて片手でしかカードをとらない」生徒。「とったカードをきちんと整理しないと気がすまないので次のカードへの準備ができない」生徒などなど。

反対に、「すぐに同じカードがあることに気づき、よくわからないが全部とろうとする」生徒。「両手を使ってたくさんとることを工夫している」生徒。「とったカードは、邪魔にならないように自分の横に無造作に置き、次のカードへと心を集中させる」生徒などなどがいます。

そして、友達の様子を見て、まねをして、うまくできるように自分の態度を改めていける」生徒と、「ずっと何も気づかず、自分のやり方だけで終始する」生徒。

伸びていく生徒は、どういう生徒かご理解できると思います。こういう態度は、「人から言われてしていく」ことは、できません。自分で気づく機会が無ければできません。この「自分で気づく力」がとても大事だと思っています。

こういう「自分で気づく力を養う機会」がたくさんればいいなと思っています。

「知識をインプットする学習時間」だけを大事にする場合、工夫する必要がなくなってしまいます。不便、困る状況の時に、人間は、工夫しようとするものだと思います。

高校3年生で「自分で気づき、工夫する力が無い」のが、一番困るケースです。

急がば回れです。たくさん「自分で何とかする経験」を積ませたいです。

海外で暮らしている日本人の子どもたちは、常に「自分で何とかしなければ生きられない環境」の中にいます。異文化の中で暮らすとはそういうことであり、生き残る力は、のちの人生で役にたつと思います。