文法演習、単語帳練習しないで、どうして読めるのですか?

日本の英語教育を受けてきた人にしてみたら、

「文法も知らない、日本語で意味を覚える単語練習もしないで、どうして、英文が理解できるのですか」

という素朴な疑問があると思います。では、日本語は、どうやってわかるようになったのでしょう。もちろん、「母語と第二言語は、インプットできる量があきらかに違う。」ので、比べられないというご意見は、もっともです。

しかし、私の教室で起こっていることは、「母語に近い習得方法で言語を身に着けている過程」と言えると思います。

音を認識できるー>音のかたまりを認識できるー>そのかたまりが意味を持つと理解できるー>かたまりの中の仕組みがわかる

という段階は、幼児さんでも大丈夫です。しかし、幼児さんは、絶対に楽しくないことはしません。また、慣れないことは、とても嫌です。 慣れ親しみ、楽しくできるのは、「ママと一緒、パパと一緒、お友達と一緒」が不可欠です。

「将来困るから、1対1で、外人さんと英語をネットでさせているの」というケースを聞くたびに、「そういうタイプのお子様もいるんだ」とびっくりしながら、結果がついてきているのかなと思います。たまに15分ぐらい、英語を聞いただけで、英語が覚えられると思ってしまう根拠はどこかなと知りたいです。

音の真似ができるー>歌える、言える、使える

という段階は、年長さんから始まっています

文字を認識でき、同じように書けるー>形の違いがわかるー>音と形を一致させることができるー>アルファベットを識別できるー>音と文字を一致させられる

ということからフォニックス練習は、始まります。

今の1年生は、小文字が認識でき、フォニックス基本音を完璧に覚えているので、次の段階に進んでいます。

3つのアルファベットの音からできている文字を読む訓練に入っています。まず、一番初めの音を認識することから始め、2音からなる音韻グループと組み合わせ、たくさん読む段階に入っていくところです。

2年生は、これを卒業し、次のフォニックスルールに進んでいますが、単語の中にルールの音を見つけることから始めています。たくさんの言葉を知っているので、それを整理するという時間だけで、進めむことができます。

3年生は、さらに複雑なルールに進んでいますが、ここまでくると、一つの音に2つのスペルのルールが存在してきて、「書く」という行為に格段の差がついています。これは、生徒のタイプによるものです「書く」ことと「読む」ことの間に、大きな開きがあるタイプの生徒もいるので、ここからは、生徒のタイプで、「できるところを使う」が大事なことです。

4年生は、ルール練習を終了したあと、どんどん使うという段階です。タイプによって、フォニックスルールの練習を継続したほうがいい生徒は、復習をいろんなアプローチからしています。「同じ進み方」である必要は、まったくありません。

学校のように決められたカリキュラムで進んでいるわけではないので、その生徒にあった進度があります。もし、ピアノを習っていて、一番習得の早い生徒に合わせて練習曲が進むとしたら、困るのではないでしょうか。

「教室」と名がつくと学校と同じシステムと思いがちですが、特にmpi学園前は、個人の進度を大事にしています。それは、この段階で、同じ時期に英語を始めた生徒たちでも、「読む」「書く」「英語を覚える速度」に差がついてくるからです。

しかし、歌ったり、チャンツを言ったり、会話をしたりの分野は、ちゃんと練習をしていけば、誰でも同じようにできます。

つまり、日本語は、同じように話せても、国語の成績で差がつくと同じと考えています。 できることをどんどん伸ばし、苦手なことから逃げませんが、「できませんので辞めます」という短絡的な結果には、つなげてほしくありません。人間、誰でも全て人と同じ、また、人よりうまくできることばかりではないのが人生だと思います。

今の4年生は、ほぼ、みんなとてもよく読め、たくさんの英会話をし、たくさんの絵本も読んできたので、BBLレベル4(中学1年生レベル以上)の本を読んでいけます。

ここからは、「目の前で起こっているできごとの英文」では、足りないです。いろんな場面で英語をインプットさせてあげたいですが、「じゃ、キャンプに行ったら使う英語を練習したいので、キャンプに行きましょう」、「転校した時に起こる出来事の英文を練習しに、英語の学校に転校しましょう」は、不可能です。

しかし、物語の中で、体験することができます。繰り返し出てくるフレーズもあります。その中で、決まり文句を身に着け、また、同じパターンの英文に接する中で、時制、人称、名詞、形容詞、動詞ということばは、使わなくても、「ことばの使い道」を理解していきます。

TAGAKIシリーズをスタートさせることで、ことばの仕組みにももっとフォーカスでき、また、発言の幅も広がっていきます。

5年生、6年生は、その力がもっとついていくので、結果として、6年生で英検4級ぐらいの英文は、さっと読め、この文は、ここにふさわしいか、ふさわしくないかということは、判断できます。

この年齢で、これだけ読めると「自分の日本語力と英語力がどんどん近づいている」という段階です。何かを読んでいく時に、「自分の興味や楽しいと思う部分と差が大きいものは読みたくない」という当たり前の気持ちがあります。特に思春期に入るこの年齢は、それが顕著です。

そうなる前に、「なるべく年齢にふさわしい英語の読書ができるようにさせたい」というのが、とても重要なことです。

中学1年生で、アルファベットを覚え、「あなたは、バナナが好きですか」の会話文を読書として受け入れていくのは、難があると思っていますが。

「15歳で、世界の同世代の友達と共通の話題でコミュニケーションをする」がmpiの目標だということを納得していただけるでしょうか。

これが、小学生が、英文が読めるようになるステップです。なぜ、小学1年生でアルファベットが認識できるように、年中さんからアルファベットにふれさせているかの事情です。「何かをできるようになる」という体験の一つとしてアルファベット練習も幼児さんにはいいと思っています。また、幼児さんは、アルファベットの練習を通して、他のアカデミックな力も訓練されていると思っています。

中学校では「英語を言語として分析する」、「英文を使って、きちんとした日本語を勉強する」という分野の勉強が入り、年齢にふさわしいと思うので、油断しないで、しっかり学習してほしいです。

 しかし、こういう学習に「興味を持てない、好きではない」という生徒も多いです。それでも、英語でコミュニケーションできたら、「本来の英語教育の目的は達成できる」と思います。

先に、「本来の英語教育の目的は達成できる」をしているのが、児童英語と考えています。

余談ですが、今の中学2年生で、年少クラスからスタートした生徒の他に、年長さんから、また、小学校2年生からという生徒もいます。小学校2年生からスタート生徒は、ものすごい努力家。この努力で、英語歴を克服したという生徒です。

どの生徒も、この生徒のようになれるかと思うと、どうかなと思うぐらいの努力ですが、必ずしも「幼児クラスからスタート」でなくても、気持ちがしっかりしていれば、大丈夫です。

年少さんから来ていなくても、小学校1年生から2年生からでも、「小さい時から来ている生徒たちよりもうまくなるケース」もあります。そういう生徒たちは、「なんとなく慣れで継続している生徒たち」にいい刺激になり、ありがたい存在です。