山下 清 展

7月9日 千葉県立美術館へ。
放浪の画家・日本のゴッホとも称される山下清さんの特別展示が開催中であることをおゆみ野クラスのCHさんから、教えてもらったのは1か月前。

「その素晴らしさは、是非ご自分の目で・・・。」と熱く語って下さったので、ずっと気になりながらも、結局足を運んだのは、展示最終日の前日になってしまいました。

土曜日も重なり、駐車場に入るのにも長蛇の列(@@)

それでも、行けてよかったぁ♪ 付き合ってくれた、Eちゃんありがとう♡

あの驚異的記憶力・集中力・根気・・・代表作『長岡の花火』に見られるような細かな貼絵は圧巻でした。

その才能は、幼少期からすでにあふれていたようで、「お魚のデッサンもすっごくセンスがあって、素敵♡」とEちゃん。

私はやっぱり花の絵に魅かれ、植木鉢から垂れ下がるように咲いている菊の花が気に入り、ため息をつきながら見惚れていました。

と、その中にハチが何匹も紛れ込んでいるのを発見! 花の色と同系色だったので最初は気が付かなかったけれど、小さき物をも いとおしむ清さんの優しさが垣間見えたような気がしました。

私が心ひかれたのは、彼の作品自体よりも むしろその横に添えられた彼のつぶやき・・・言語障害があり、コミュニケーションがあまり得意ではなかったそうで対人関係を上手く築けなかったそうですが、彼の飾らない一言、一言には 物事をまっすぐ見つめる純粋さがあり、時にユーモアもあり 思わずクスッ(^^)

また、胸のうちを克明に記載した日記は、後に「放浪記」として出版されたそうですが、直筆がガラスケースの中に展示されており、読んでいて涙がポロリ。

障害者施設に預けられ、そこで式場氏と出会い、彼の指導のもとで清さんはちぎり絵に没頭。才能は磨かれ、10代の頃より個展を開けるほど、画家として高く評価されてはいたものの、生活費のために親戚を転々・・・魚屋さんやお弁当さんでコツコツ働いたそう。千葉で農家をしている叔父さんの所にいたこともあるそう。

千葉駅で乗り換えが必要な事が何回も何回も・・・。きっと、新しい場所で自分を受入れてもらえるか不安でたまらなかったのでしょう。。。。(昭和15年1月8日「放浪記」)

世話になっている分、一生懸命お手伝いしたい、役に立ちたいと思いながらも、大根の葉も馬の飼育用に取っておくように言われたことを聞き逃し、捨ててしまい 「他の人の四分の一しかできない」「ずるくさい」と云われてしまった清さん。(同1月25日)

その叔母さんは、疲れていたであろうに農作業の合間に何度も何度も清さんのはさみ将棋に付き合ってくれるようなおばさんだとこの件の前に記述がありました。

きっと辛抱強い、優しいおばさんだったのでしょう。そんなおばさんをがっかりさせてしまったこと、怒らせてしまったことに、清さんは自己嫌悪に陥ってしまったのかもしれません。

「今からでもそのくせがなほると言われたから 今度から るんぺんを思いきってやめ用と思ひます もしるんぺんをした場合は 病気と思われてもかまいません」
(昭和29年4月11日)

当時は、今以上に障害者の方達に対する理解が少なく、彼も素晴らしい才能がありながら 病人扱いされ 何度も叱られていたようです。

私の中に潜む劣等感、優越感。
自分のとは違う物の見方や考え方、表現の仕方を受入れられない、心の狭さ、固さ。

主よ、どうか もっと、もっと 大きな心で 自分の身に起こる全てのことを受け入れられるよう成長させて下さい。

何の見返りも求めない あなたの愛の大きさ・広さ・深さを改めて思いました。