「教師が何を教えたか」ではなく「子どもが何をできるか」を追求しよう|小学校英語と英語教材、指導者資格はmpi

記事
新着の記事
過去の記事
2008年12月までの記事
HOME > 記事 > 「教師が何を教えたか」ではなく「子どもが何をできるか」を追求しよう
新着の記事
2009年1月8日
「教師が何を教えたか」ではなく
「子どもが何をできるか」
を追求しよう
〜2009年のMPIの考えていること、
目指すもの〜
松香フォニックス研究所所長
松香洋子
レポート:小学校英語の現場から
私の児童英語教育の原点
私は1965年にイギリスへ初めての留学をしました。そして英語は音声的に楽しむものであることを学びました。演劇から文学、政治、教育、そして10時と3時のお茶の時間まで、音声的に英語を使い、人とのコミュニケーションを楽しむイギリス人に接して、私は「日本の英語教育はウソばかりである!」と大きなショックを受けました。これがMPIを創設した1つの原点です。言葉は音声的に学び、使い、人と人をつなぎ、そして人生を楽しむための大切な道具である、という考え方は今も変わっていません。

娘と私の英語留学記
1975年には2人の小さい子どもを連れてアメリカへ留学しました。
子どもは言語習得をするために生まれてきている。ある時期にあることをすれば誰でも複数の言葉を学べるし、そしてそれは子どもにとって苦痛ではないことを知りました。アメリカでの3年間の経験が、児童英語という分野に目覚めたきっかけでした。今でも、英語(外国語)の教育は中学生では遅すぎると思っています。子どもの持つ独特のエネルギー、能力、遊び心、想像力、未知のものに対する大胆な挑戦などに敬意を払い、この道に進んだことの幸せを感じています。しかし、子どもは9歳、10歳ぐらいになると、これまでにやったことを忘れ、同時に理性的になります。この時期を超えて、どうやって継続していくかが最大のテーマといえます。

1993年のオランダ留学から学んだのは、ヨーロッパでは小学校での英語教育はすでに導入が終わり、ヨーロッパが共通語としての英語の意義を見出し1つになろうとしていることでした。歴史的にも、地理的にも、いがみ合い、憎み合ってきたヨーロッパ人が1つになる道を模索している姿は尊敬に値するものでした。オランダという国に身を置いたおかげで、英語の裏のようなものや、ヨーロッパ人の陰の姿がよく見えました。
1つになろうとするヨーロッパにおける英語は、もはやいわゆる“Native Speakers”のものではなくなっていました。夏休みにヨーロッパ中の高校生を集めて実施されたキャンプから帰宅したばかりの、オランダの高校生が言った言葉は今でも忘れられません――「イギリスの高校生はわけの分からない英語を話すから、いつものけ者だった」。この時点で私は共通語としての英語というものを強く意識し、すでに“World Englishes”の時代に突入していることをはっきり認識したのです。この考えは今でも私の核になっています。

30年も同じ仕事をしてきたのですが、「私はいったい何をしてきたのだろうか? 私にできることは小さな、小さなことにすぎない。無に等しい」と言ったマザーテレサの言葉が心にしみます。私の心境もその通りです。
しかし、今年もやりたい仕事がたくさんあります。「人生で自分に合った仕事をみつけた人は幸せである」という福沢諭吉の言葉通り、私は幸せな人間なのだと思います。
2009年を迎え、私は次のようなことを考えています。

1.民間の英語教室での英語教育――子どもにとって人生で始めての英語教師の果たす役割
民間の英語教室の先生方は、どうか、小人数での強みを生かし、人が人を好きになる教育をしてください。英語を通せば人の輪はさらに広がるという点を大切にしながら、表現力のある子どもたちを育ててほしいです。日本の英語教育のレベルでは世界で最低です。遠慮はいりません。どんどん高く、高く、理想を目指してほしいです。たくさんのインプットにたくさんのアウトプット。それを支援しながら、一人ひとりの子どもの力を引き出してください。

関連リンク:
娘と私の英語留学記
MPIパートナー制度