2017年2月27日
学習指導要領改定案によせて
その1(全3回)
mpi松香フォニックス会長
松香洋子
レポート:小学校英語の現場から

学習指導要領改定案が発表されました。
まず初めに、この学習指導要領改定案の作成に関わった多くの皆様に心から「お疲れさま」と申し上げたいです。 日本社会のみならず、日本を取り巻く世界の大きな変革に直面し、これから20年先、30年先に活躍していく児童、生徒のために今、教育現場では何をすべきか、本当に大きな課題を背負っての指導要領ですから、たいへんなご苦労があったと推測しております。

また、戦後最大の失敗の1つと言われる英語教育を大きく改革するとなると、「使える英語」を教えるという大転換をはかろうということですから、カリキュラム、教材、指導法、指導者などのどれ1つをとっても、特に英語教育に関しては大きな課題があることはたしかです。「教養」として長年、教えてこられた英語が、「実用」となるには、理念の違いがあるため、今でも反対する人は多数存在します。 その中にあって、英語は「道具」であり、「使うために学ぶ」という大きな意識改革を成し遂げるにはもうすこし時間がかかる気がします。

今回の改定は、皆様もすでにご存知の通り、
・英語に親しむ「外国語活動」を小学校3、4年生に引き下げる
・5、6年生では、正式教科として、年間70時間学び、成績評価も行う。
・小学校英語では、600語~700語を習得する。
・5年生から、3人称単数のSとか、過去形なども学ぶ。
・「読解力」の低下が目立つため、国語を中心に語彙指導や、読書や新聞の活用なども含める。
・討論や意見発表を重視した「主体的・対話的で深い学び」を導入。
・コンピュータを動かす手順を考える「プログラミング教育」を小学校で必修化。
・道徳教育の教科化。
 このようなことが話題の中心です。

全体として、とても理想的なことが盛り込まれているという感じですが、現場では、これをいったいどうやって実施するかというのが問題になるでしょう。
でも日本政府のやり方は、指導要領によって基本的な考え方を示し、具体的な実施は各地方自治体にまかせるとなります。地方自治体では教育委員会を中心に現場にまかせるとなります。 つまり、教師の指導力にかかっている、という議論にいたります。
でも、日本の先生たちは優れもので、落ち着くのに数年はかかるものの、それをどうにかこなしていくのです。

しかし、こと英語教育に関していえば、指導要領にかかれた内容が真に実現されるには、次の2つのことと連動していかなくては意味がありません。

高校、大学の入試改革
どんなに小、中、高の教育内容を改革しても、それが入試に直結していなければ結局のところ、改革にはなりません。大学入試が変われば、高校の教育は「一夜で変わる」と言われるし、高校の入試がかわれば、中学校の英語は「一夜で変わる」のでしょう。
これまでのところ、中高とも「読み」偏重なのは、入試のせいであるとよく言われます。大学入試の95%が読解である、といわれるほどの現実の中で、聞く、話す、読む、書く、の4領域が大学入試で課されるのであれば、高校の授業はかわらざるをえません。 高校の入試が真に4技能になるのであれば、中学校の英語教育の内容は変わるでしょう。このような変化は今回に限っていえば、2020年には英語がセンター試験からはずれるということで、これまでの試験内容とは変わるという方針が示されています。 今年の4月に高校1年生になる生徒たちがセンター試験の最後の学年ということですから、高校英語はあと3年変わらないといえるでしょう。
一方、中学校では、4月からは全学年で、新しい大学入試にむけて勉強をするということになります。それには高校入試の方向性が早く示される必要があります。 日々の中間、期末試験も、最終的には入試に向かうというこの国の制度においては、入試の体質がかわることが一番、改革に近いことです。
私はこれまで、せっかく学校で英語を学ぶなら、学校を出たあとも、その後長く続く人生において、「英語くらいはできますよ」「大丈夫です」という一生ものの安心感、自信を生むものであってほしいと願ってきました。 これを実現するにも入試改革は欠かせないのです。

もう1つの問題です。
小学校英語が成功するには、小、中連携という考えが欠かせません。どんなに小学校英語を充実させても、それが中学校英語に連携されてなければ、改革は実現しません。
小学校英語でできることは、素地、つまり基礎の基礎と言われる通り、ごく入り口であることには違いありません。小学校英語はあくまでも聞く、話すが中心であり、やりとりの体験が中心です。それがいいことなのです。 楽しく、体験的に学ぶことがとても大切で、それが素地をつくる基本であることは永遠にかわらないでしょう。
大切なことは、中学校の英語教員が中1から英語をゼロから始めるという考えを捨て、小学校でこどもたちが身につけてきたことを認め、褒め、そこから出発することです。これがうまくいっている場合は、小学校英語は成功するし、中学校英語も成功するのです。 小学校の先生たちは自分たちが育てたこどもたちが中学校へいってさらに羽ばたくことを願っています。中学校の英語の先生が、小学校での実践をねぎらい、褒めてくれることが小学校の先生たちに方向性を示すことなのです。

最後になりましたが、では、民間の英語教室では何をすればいいかということです。
民間ができることは、学校というものが集団教育であるのと違って、より個人的な対応ができやすいということです。こどもにもいろいろなタイプのこどももいれば、帰国子女や保護者が外国籍のこどもも増えています。 そのような多様性にこたえながら、なんといっても個人対応が必要な「話す」「書く」指導が充実してくることがこれからさらに求められることでしょう。
例えば、音楽教育と比べれば、民間の音楽教育をうけて、ベートーベンやモーツアルトの演奏に取り組んでいるこどもたちも、学校へいけば、みんなと一緒にリコーダーを吹いたり、合唱を楽しんだりしています。 その時に、技能をもっているこどもが伴奏をしたり、指揮をすることもあるでしょう。
英語も、民間で教えるのであれば、学校へいって、英語によるコミュニケーションをひっぱれる役をすることができればいいと思います。また、自分の考えを述べたり、プレゼンをするといったこれからの課題にたいしても、民間で学んでいる子こどもたちがリーダーなって活躍できるといいなと考えています。
こどもの可能性は無限、という信念のもと、一人、一人のこどもに十分に対応する喜びを民間だからこそ、たっぷりと味わいたいものです。

様々な課題はありますが、2020年という大きな節目の年をこえて、2025年くらいにはこの問題が少しは落ち着いてくる、つまりあと10年は試行の時でしょう。これをあとで振り返れば、大きなステップになっているのではないでしょうか?