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吉澤眞理先生
2010年2月2日
連載
mpi English Schools教室訪問
第8回
つらい時もある人生 楽しく生きる力を育てたい
神奈川県平塚市
Bright Future 明るい未来創造所 吉澤眞理先生

取材・構成 奥原剛
レポート:小学校英語の現場から

吉澤 日本に来ている外国人って、何かと親切にされるじゃないですか。なので、私もあっちでちやほやされると思っていたんです(笑)。勉強もきっとみんなが手伝ってくれるから大丈夫だろう、と。しかし、実際には容赦がなくて、本当に毎日が大変でした。

フォニックスのおかげで卒業できた

むこうに行ってから1カ月ぐらいの間に、何度も国際電話をして「帰りたい」と言ったんですが、私の母は大正生まれで奉公にも出た苦労人ですから、「いくらお金かかかってると思ってるの!」ってガチャッと切られて。後から聞くと、母は「苦労から学べ」と心を鬼にしていたそうです。

「帰れない」と分かって開き直ったんですが、英語ができない。最初の1カ月は現在形とジェスチャーだけで生きていました。口から現在形しか出てこないんです。まぁ、ジェスチャーの達人にはなりましたけどね(笑) 。

しかし当然、過去形が使えないと会話が成り立たない。2カ月目ぐらいから、ようやく過去形が口から出始めて、疑問文もYes、 Noを問うだけから、WhatやWhyも使えるように進歩しました。

そして、4カ月目のある日に、突然、完了形が口をついて出たんです。自分でもびっくりしました。「あ!完了形ってこう使うんだ」と、頭ではなく体で分かった瞬間でした。

フォニックスの威力もその頃に身を持って体験しました。ホストマザーからフォニックスの文字と音のルールを教えてもらってから、学校の勉強がすごく楽になったんです。教科書を読む苦労が減り、聞いていてもどこを読んでいるのか分かるようになり、フォニックスが私の成績をずいぶん押し上げてくれました。

結局、その高校を卒業して、アメリカの大学へ進みましたが、フォニックスと出会わなければ高校を卒業できなかったかもしれないってくらい、フォニックスには助けられました。

日本ゲートウェイの最初の社員に

――帰国してからは?

吉澤 大阪で留学カウンセラーを3年やってから、平塚に帰ってきて大手英会話学校で英語講師になり、平塚校の主任として、高校生からシニアまで、週に120人くらいを教えていました。その後、本社に呼ばれて、トラブル校の建て直しを命じられ、計3年半勤めました。それから、アメリカのコンピュータ・メーカーのゲートウェイに入社して――。

――その転職はどのような理由で?

吉澤 英会話学校の先生は、話す英語そのものは平易なので、自分の英語の実用力が落ちているという危惧があって。そこへちょうど、ゲートウェイが日本法人を立ち上げるという雑誌の記事を見つけて、「英語力を鍛え直すのにいいかも」と応募しました。吉澤眞理先生

すると、英語ができてこんな元気な性格だからか、
採用されて。私が日本法人で最初に採用された社員で、
社員番号が1番でした(笑)。