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2010年1月4日
世界でコミュニケーションできる日本へ!
〜mpiから2010年のご挨拶〜 前編
株式会社 mpi 代表取締役
松香マックドゥーグル明子
レポート:小学校英語の現場から

皆様、はじめまして!
株式会社 mpi の松香マックドゥーグル明子です。名前がとても長いので、会社では「マック」と呼ばれています。もちろん、コンピュータともハンバーガーとも関係はありません。
さて、フォニックスが英語教育の常識となった時代の変化に合わせ、2009年に「有限会社 松香フォニックス研究所」は、社名を「株式会社 mpi」に変更いたしました。私の母・松香洋子がmpiを創業した30年前には、フォニックスという言葉はまるで知られていませんでしたし、子どもに英語を教えようという方も今に比べれば少数でした。そんな中、mpiは一貫して「コミュニケーションのための英語」にこだわってきました。

娘と私の英語留学記

松香洋子は、70年代に、私の父を日本においたまま、私と兄を連れてカリフォルニア大学にMasterをとりに行きました。そのときの話が『娘とわたしの英語留学記』という本にまとめられ、出版されたのが1978年でした。

この本には、高校の英語教師だった松香洋子がなぜ子どもに英語を教えようと思うに至ったか、という経緯と動機が綴られています。その頃は、子どもに英語を教えるということが珍しく、母も「なぜ子どもに英語を教えるの?」とよく聞かれたようです。松香は子どもの素晴らしい能力に魅せられ、「言語を教えるなら、子どもにしかない素晴らしい能力がある時期に!」と確信してmpiを創立し、30周年を迎えた今も、子どもだからこそ伸ばせる能力、適期教育とは何か、ということを課題に出版・指導者研修・教室運営などを続けています。

娘と私の英語留学記
アメリカ留学中の母と私

ちなみに、この『娘と私の英語留学記』という本は、私の子ども時代のエピソードも満載で、思春期をむかえてからの私はそれが嫌でたまりませんでした。あとがきには、「英語ができるようになったのは感謝しているけど、過去のことを暴露して本を書かれるという代償を払った」というような私の抗議が書かれてあります(笑)。

英語ができることで、私は多くのチャンスを得ました。大学卒業後、オーストラリアに職を得て、結婚をし、子どもを産み、10年を過ごしました。その間に、世界やアジアにおける日本という国を外側から見ることができました。特に最初の5年は、日本の航空会社をオーストラリア人に売り込むというチャレンジに溢れる仕事をさせていただきました。

私はブリスベンというところにいました。オーストラリアでは第3の都市ですが、“日本人がたくさんいるゴールドコーストへの入り口”というイメージをもたれている方が多いのではないでしょうか。そのほかでは、ミネラル、ガス、炭などのお仕事をしている方にも、ブリスベンは知られています。

オーストラリアという国はどこからも遠く、ヨーロッパに行く最短距離はアジア(シンガポール、香港、日本など)を経由していきます。北米に行くには直行便もありますが、カナダに行くにはハワイ経由が近いというような場所にあります。その上、移民が多い国ですから、お里帰りは海外という人もたくさんいます。そんな訳で、航空会社の競争は日本の比ではありません。

オーストラリア人から見ても、日本人はまじめで、気持ちよく、困っているときは助けてくれる、自己主張しない、などというイメージがあるようです。また、ご飯がおいしい、ハイテク、などのイメージがあり、これは航空会社にとっては強みです。その反面、やはり日本人は「英語ができない」というイメージをもたれていました。日本人は英語の知識ならありますが、「コミュニケーションが苦手」なのは確かのようです。

娘と私の英語留学記
オーストラリアにて

私はオーストラリアでの暮らしの中で、自分の意見を持つこと、それを発信すること、ユーモアを持って交渉を続けることなどの大切さを、身をもって経験しました。これらは、mpiが30年間一貫して大切にしてきたことでもあります。海外生活で、日本の強み・弱みを世界レベルで考えられた経験は、改めて日本の英語教育を見つめ直す私の動機となりました。